欧米で急速に合法化と普及が進む「スポーツベッティング(スポーツ賭博)」。ファンがより熱狂的に試合を楽しむためのスパイスとなる一方で、選手に対する行き過ぎたヤジやSNSでの無慈悲な誹謗中傷など、看過できない深刻な問題を引き起こしている。今週開幕する「全英オープン」の会場でも、選手たちの口からその「闇」に対するリアルな声が漏れ聞こえてきた。「静寂のスポーツ」と「ギャンブルの熱狂」が衝突する、ゴルフ界の試練に迫る。

マット・フィッツパトリックの警告:SNSの惨状と競技を脅かす「脆弱性」

メジャー覇者であり、常に冷静沈着なプレーで知られるマット・フィッツパトリックは、現在のSNSの惨状、そしてベッティングが及ぼす競技の公平性へのリスクについて強い危機感を示している。

画像: 会見場でスポーツ賭博について話をするマット・フィッツパトリック

会見場でスポーツ賭博について話をするマット・フィッツパトリック

「プロのトーナメントに出場したゴルファーなら誰でも、ギャンブルに関連した誹謗中傷のメッセージを受け取ったことがあるはずだ」

自身の賭けが外れた腹いせを、選手個人のアカウントに直接ぶつける心無い人々。フィッツパトリックは「調子を落としている選手や、逆に優勝候補に挙げられている選手の名前をTwitter(現X)で検索してみてほしい。名前の後に続くのは、誹謗中傷、誹謗中傷、また誹謗中傷の嵐だ」と嘆く。

彼自身もサッカーのワールドカップなどで少額の賭けを友人と楽しむことはあるというが、「イングランドの優勝に賭けているからといって、負けた後にハリー・ケイン(イングランド代表のエース)へ『なぜあんな酷いプレーをしたんだ』なんてメッセージを送るわけがない」と憤る。

さらに、フィッツパトリックはこの問題がSNSの中だけにとどまらず、実際のプレーへの直接的な妨害リスクにまで発展していることを危惧している。

「ゴルフというスポーツにおいては、バックスウィングやパットの瞬間に叫び声を上げることで、賭けの結果を意図的に操作することが非常に簡単だ。監視するのは困難だが、間違いなく大きな問題になっている」

動のスポーツとは異なり、コンマ数秒の静寂がショットの成否を分けるゴルフという競技特有の脆弱性が、ベッティングの波によって脅かされているのだ。

ウィンダム・クラークの証言:ロープの外から聞こえる「投資先」への欲望

ベッティングの影響は、実際のトーナメント会場におけるギャラリーの性質をも変貌させつつある。

画像: 25年全米OPでロッカーを破壊するなどの問題行為を繰り返した結果、ウィンダム・クラークにはアンチが増加。スポーツ賭博やシェフラーのキャリアグランドスラムも絡み、26年全米OPの最終日には野次が聞こえた

25年全米OPでロッカーを破壊するなどの問題行為を繰り返した結果、ウィンダム・クラークにはアンチが増加。スポーツ賭博やシェフラーのキャリアグランドスラムも絡み、26年全米OPの最終日には野次が聞こえた

前月の「全米オープン(シネコックヒルズ開催)」で、悪質なギャラリーからのヤジに耐え抜き、見事な勝利を収めたウィンダム・クラーク。彼は、観客の度を越した振る舞いの背景に、間違いなくスポーツベッティングが絡んでいると指摘する。

「トーナメント中に『おいウィンダム、お前が勝つほうに30対1(オッズ)で賭けてるぞ』とか『100対1で賭けてるんだ』といった声を聞く回数は計り知れない。それはもう、しょっちゅう起きていることなんだ」

ロープの外から飛んでくる声は、純粋な応援から、自身の「投資先」に対する欲望や怒りへと変わってきている。クラークは「いくつかのケースにおいて、ベッティングが(悪質な行動の)元凶の一つになっていることは間違いない」と語り、選手の心理状態に影響を与えている現場のリアルを浮き彫りにした。

しかし、クラーク自身はこうした逆風を力に変える強靭なメンタリティを持ち合わせている。完全アウェーとも言えるシネコックヒルズでのヤジについて、彼は潰されるどころかこう振り返った。

「他のスポーツをやっていた頃から、敵地の体育館でプレーして、その場を静まり返らせるのが大好きだった。シネコックでも彼らは全力で向かってきたが、私はすべての困難を乗り越えたと感じたよ」

タフな精神で重圧をはねのけたクラークだが、すべての選手がこれほどの不敵さを保てるわけではない。

R&Aが踏み切った「ゼロ・トレランス」の異例措置

ベッティングによるギャラリーのマナー低下という問題は、ついに全英オープンにまで飛び火している。

本来、全英オープンのギャラリーは世界でもトップクラスの質を誇る。2017年の全英覇者であるジョーダン・スピースは、「全英オープンのファンは世界で最も知識が豊富で、ここで(観客が度を越していると)感じたことは一度もない。適切な反応をしてくれる」と語り、その深い理解とマナーに敬意を表していた。

しかし、その聖地でさえも、ベッティングがもたらす熱狂と欲望の波には抗えなくなりつつある。

こうした事態を重く受け止めた主催のR&A(ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフ・クラブ)のCEOマーク・ダーボン氏は、今年の全英オープンにおいて、ギャラリー向けの厳しい行動規範「The Open Commitment(全英オープンの約束)」の導入へと踏み切った。

このコード・オブ・コンダクトでは、観客に対して「選手がショットの準備、または打つ瞬間に静かに立ち止まること」を厳格に求めている。さらに、選手への脅迫的な行動や暴言といった悪質な振る舞いに対しては「ゼロ・トレランス(一切容認しない)ポリシー」を適用し、違反者は返金なしで即座に会場から追放される可能性があることを明記した。

世界で最もゴルフを愛し、マナーを熟知しているはずの全英のファンに対してすら、主催者がこのような厳罰を伴う規則を設けざるを得なくなった事実こそが、ベッティングがゴルフ界全体を飲み込もうとしている現状を何よりも物語っている。

紳士のスポーツが直面する新たな試練

かつて「紳士のスポーツ」と呼ばれ、張り詰めた静寂と互いへの敬意によって成り立っていたゴルフは今、ベッティングという巨大な経済と欲望の前に、かつてない試練に直面している。

巨大化するスポーツベッティングの波とどう向き合い、ゲームの公平性と選手たちの尊厳を守っていくのか。ゴルフの伝統とモラルを守り抜くため、ゴルフ界全体が今、その難しい答えを模索し始めている。

写真/R&A提供


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