脳卒中という突然の病魔に襲われ、命は助かったものの身体に麻痺が残るという過酷な現実。日本に約190万人いると言われる脳卒中患者のなかで、「なぜ自分がこうなったのか」という深い葛藤を抱えながらも、再びゴルフクラブを握り、凡事徹底の精神で新たな愉しみを見出した2人のスーパーシニアがいる。脳出血から4年、清州城の織田信長像に闘志を誓って猛練習を重ね、わずか1年でスコアを135から101へと激変させて大会1位に輝いた三宅竜一郎さん。病気の苦難をすべて受け止め、家族への感謝を胸に前を向き続ける彼らの、熱いゴルフライフに迫った。週刊ゴルフダイジェスト8月4日号の内容を、「みんなのゴルフダイジェスト」で一部お届けする。

スコアを34打縮めて掴んだ栄冠、心と体を動かし続ける果てなき挑戦

武士魂を持つ練習の虫「ゴルフは目標にキリがない。だから飽きない」(三宅竜一郎)

画像1: 脳卒中からの奇跡のカムバック!「日本片マヒ障害オープン」を沸かせた2人のスーパーシニアが語る、葛藤を超えた先にあるゴルフの魔力と生きる愉しみ

「体を回すと腕がついていき、トップから勝手に下りてきて当たるイメージです」。クラブにもこだわり、シャフトは“軽硬系”が好み。「アイアンは自分に合うBSの『233HF』を見つけました」

「僕、優勝しちゃいましたよ〜」

ゆっくりとこちらに進んで来た三宅竜一郎さんは、満面の笑みで右手を振っている。昨年の本大会に初出場したとき、スコアは135で、「もっとできると思ったな」と肩を落としていたゴルファーとは別人のようだ。昨年の試合の帰り道、奥さまと待ち合わせして清州城を訪ねたという三宅さん。

画像: DGAについては入院しているときに知って連絡した。今年はステーブルフォードの部で1位となり表彰を受けた。「もっと上手くなりたい欲があります」

DGAについては入院しているときに知って連絡した。今年はステーブルフォードの部で1位となり表彰を受けた。「もっと上手くなりたい欲があります」

「初めてDGAの競技に参加して、周りのレベルの高さ、自身の未熟さを知りました。135で落ち込んでいましたが、同じ片麻痺の人がもっと頑張っている。織田信長を見て『戦わなきゃ!』と。別に好きではないのだけど、家康や秀吉よりはいい。“障害者ゴルフ道”出陣を織田信長に誓いました」

出陣宣言の1年後、スコアは101。打数をかなり縮めた。そして、ステーブルフォードの部で1位となったのだ。

三宅さんがゴルフを始めたのは30歳の頃。勤めている食品会社の上司が、「評価はゴルフするかどうかで決める」と本気で言う。

「その頃は、ゴルフに行く人を見て『日曜日や夏の暑い日によく行くなあ』と思っていたんですよ」

しかしそこからゴルフの魔力にハマってしまう。

「今もですけど、毎週土日の朝は“朝練”に通っている。練習はコースに行くのと同じくらい好きです。5時半から並んで打席を取って、まず無料のバンカー練習を30分して打席に行って、健常のときは球数100球くらい。苦手なバンカーも得意になっちゃった」

画像: 昨年回った末廣信吾さん(左片麻痺)と。「上手です。僕と一緒で、もっとできるはずって悔しがっているところも嬉しかった」

昨年回った末廣信吾さん(左片麻痺)と。「上手です。僕と一緒で、もっとできるはずって悔しがっているところも嬉しかった」

三宅さんが脳出血に罹患したのは4年前の11月。ちょうど自身のゴルフに油が乗ってきた頃だ。こぶしGC(岐阜)のメンバーとなり月例にも出始めた。80台も出るようになりHCは20に。「さあAクラスだ」と意気込み、競技会に行く途中のコンビニでの出来事だった。「車に乗ろうと思うのに左手足が動かず尻もちをついた。店員さんが来てくれて『呂律も回っていないですよ、飲んでいるの?』って。それで救急車を呼んでくれました。高速に乗っているときじゃなくてよかったけれど」。

意識はずっとあったがショックだった。病院で検査や治療前に、医者から「起きたときに話せなかったり記憶が飛んでいたりするかもしれない。そういう病気だから」と言われた。目が覚めたとき、そうはならなかったが、左手足の動きはやっぱり戻らなかった。

「戦わなきゃ!。織田信長に誓ったんです」

画像: 織田信長像と一緒に写真を撮る三宅さん

織田信長像と一緒に写真を撮る三宅さん

昨年の試合後、清州城を訪ね、決意した。「織田信長の闘志をいただいてきました。次回は一皮むけた姿を見せられるよう練習に励みます!」

「入院しているとき、PTさんが『治ることもある』と言ってくれたけど『そんなことないだろう』と心の中で思いつつ、3カ月前からできる月例の予約をして、直前になってキャンセルしたり。リハビリはかなり頑張って、朝5時には起きて誰もいないリハビリ室に行ったり……お医者さんもいい人で『ゴルフはやったほうがいい』と。病室にパターマットを持ち込む許可もくれました」

ゴルフに早く復帰したいという気持ちが強かった。

「今でも常に自分の頭の中にはゴルフがある。けっして上手くないんだけどね。退院しすぐに練習を再開。最初は100球くらい打つだけだったけど、この体だと球数を打って、どうやって飛ぶかということを覚えていかなきゃならない。だから土日は打ち放題で、全番手で300~400球くらい打つ。右腕の筋肉が痛くなったり、練習が終わるともうぐったりですよ。物珍しくていろいろな人が近寄ってくる。『片手で打つコツを教えて』と言われても、逆に教えてほしいですよね(笑)」

THANKS/小淵沢CC
PHOTO/Yasuo Masuda

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記事の後半では、元サラリーマンの櫻田新児さんが歩む、驚くほど知的でアクティブな「第2の人生」の全貌が明かされる。退院後に修士論文を完成させて見事社会人大学院を修了し、その後もスポーツ吹き矢やブルースハープ、そしてゴルフへと次々に挑む櫻田さん。教育心理学者クランボルツの「計画的偶発性理論」を引用しながら、「行動を起こすこと、本能に従い興味を持つことがすべての発火点になる」と語るその姿は、まさに人生の哲学者と言えるほど。自らの壮絶な経験や福祉政策の課題をまとめた著書『「地獄」からの旅立ち』の出版秘話や、左腕のリハビリのために100円ショップやAmazonの絶版サポーターを駆使して自作した「芯で捉える」スウィングの秘密にも迫っている。「何かを諦める人は本当に好きじゃないだけ」と言い切る櫻田さんが、後期高齢者を見据えて掲げる「エージシュート」という壮大な夢の続きは必見!


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