
在りし日の川田太三氏。ご冥福をお祈りいたします
川田氏は1944年2月20日、東京都生まれ。立教大付属の小、中、高校で学んだ後、アメリカのオハイオ州立大学に留学した。帰国後に立教大学へ編入し、卒業。1964年10月の東京オリンピックでは組織委員会の通訳として働いた。 同年11月から本格的にゴルフに取り組み、ゴルフ歴わずか2年10カ月にして1967年の「日本オープン」出場を果たすという非凡な才能を見せた。
1975年には株式会社ティアンドケイ・インターナショナルを設立し、代表取締役に就任。アマチュアゴルファーとしても活動を続け、日本アマチュアゴルフ選手権や日本オープンなどへの出場経験を持つ。
1980年からは日本ゴルフ協会(JGA)の競技、規則、国際などの委員を務める傍ら、世界アマやアジア大会などで団長や監督を歴任。全英オープン(1990~2007年、2010年)、マスターズ(2000~02年)でのレフリーや、2002、04年「ボナラックトロフィー・アジア欧州対抗マッチ」の監督を務めたほか、日本ゴルフコース設計者協会の理事(1993~)、副理事(2009~12)、理事長(2013~23)を歴任するなど、国内外で要職を担った。
トーナメントの解説者としてもお馴染みであり、全米オープン(1981~96)、全米女子オープン(1985~96)、日本オープン(1981~93)、日本女子オープン(1982~93)、中日クラウンズ(1984~2014)などで名解説を披露。 そうした長年の功績が評価され、2013年には全米ゴルフ協会(USGA)から名誉ある「ジョセフ・ダイ賞(ジョー・ダイ賞)」を受賞している。
新聞、雑誌等の執筆活動も精力的にこなし、『ゴルフライフ極上の愉しみ』『ゴルフ公論』『ゴルフ見聞記』『ゴルフ徒然草』などを上梓。小社刊では『スゴい! ゴルフコース品定め』があり、ゴルフ場セミナー誌にて「Taizo Golf Club」を連載いただいた。
コース設計家としての顔も持ち、1985年に小原CC(愛知県)を設計して以降、成田GC、花の木GC、若洲GL、北海道ブルックスCC、イーグルポイントGCなど23コースを手掛けた。改造・改修に関わったコースも29コースにのぼり、2023年まで務めた日本ゴルフコース設計者協会理事長としての多大な貢献は計り知れない。 また、1983年にオハイオ州にあるピート・ダイ初期の傑作「ザ・ゴルフクラブ」、1990年にゴルフ総本山「R&A」、2013年には「パインバレーGC」の会員となるなど、世界中の名門クラブとも深いつながりを持っていた。
私事で恐縮だが、川田氏にお会いして初めて言葉を交わしたのが、1980年にオハイオ州アクロンにあるファイヤーストーンCCを訪れた時のことだった。
その時、「この近くで行くべきコースは、J・ニクラス設計の『ミュアフィールドビレッジ』、ニクラスが育った『サイオトGC』、トレドにある『インバーネスGC』、少し離れているが『オークランドヒルズCC』。そして、オハイオ州立大にあるアリスター・マッケンジー設計の『スカーレットコース』だ」と教えていただいた。
いずれもアメリカを代表する名コースであり、その経験は私にとってとても貴重なものとして、今でも心に深く刻まれている。その後、川田氏のご厚意により、日本ゴルフコース設計者協会の名誉協力会員として特別に入会させていただくことにもなった。
川田さん、本当に有難うございました。合掌。(文/特別編集委員・吉川丈雄)