
内藤寛太郎は44歳123日で戴冠。ツアー初優勝時の年齢としては、ツアーで5番目(日本人としては4番目)
ライバル陣営の救護とベテランの状況判断
歴史的なビッグスコアでの圧勝劇。しかし、その華々しい結果の裏には、想像を絶する過酷な状況があった。優勝会見で内藤の口から明かされたのは、衝撃的な事実だった。
「実は3日目の朝、練習している時に軽いぎっくり腰をやってしまって。『なんで今?』という気持ちでした。痛み止めを飲んで……。練習していても『今日プレーできるかな』という心配しかなくて、そんなことを考えていたら緊張している余裕はなかったですね(笑)」
なんと、3日目・最終日ともに朝起きた時からずっと腰の痛みが続いていたという。この危機を救ったのが、同組で競い合っていたライバル・勝俣陵のトレーナー(大塚裕介さん)だった。急遽治療を施してもらい、テーピングと痛み止めで“誤魔化しながら”のラウンドを余儀なくされていたのだ。
しかし、ここからが苦労人・内藤の真骨頂だった。
「ショットに関しては振りたいところで振れないし、庇ってミスしたのもあった。でも、その分アプローチとパターに集中してプレーすればいいと切り替えていました。ショットが乗らないのも想定内だし、同組の2人より飛ばないのも想定内でしたから」

無理をせずにショートゲームへ全集中した結果のビッグスコアだと内藤は話す(写真は3日目)
怪我という不測の事態を受け入れ、無理をせずにショートゲームへ全集中する。勝利を決定づけたのは、最終日17番ホール(581ヤード・パー5)だった。2打目を9Wで右奥カラーまで運ぶと、そこから放ったアプローチをピン手前わずか30cmにつけて楽々のバーディ。ベテランならではの冷静なマネジメントと卓越した技術が、この偉業を支えていた。
モチベーションの源泉と周囲の支え
プロ21年目。下部ツアーでの戦いが長く、39歳で初シードを獲得するも1年で喪失するなど、決して順風満帆なキャリアではなかった。

ライバルたちだけでなく大勢の人からウォーターシャワーを浴びせられる内藤
「『いつ』というより、ずっと辛かったです。今のツアーの平均年齢って20代じゃないですか。そういう若い子たちが僕のドライバーを楽勝で越えていく。そんな中で『このままやっていけるのかな』と心配している部分はありました」
それでも「やっている以上は優勝したい。優勝しないまま終わりたくない」という確固たる情熱が彼を突き動かしてきた。
さらに最終日、勝利への背中を押したのが絆の存在だ。18番のティーグラウンドでは、かつてキャディを務めてくれた恩人でもある所属先・ロピアの髙木勇輔氏が会場を盛り上げ、気持ちに余裕を持って最後のティーショットを振り抜くことができたという。
「東京からも福島からも、本当にたくさんの人が応援に来てくれていました。多くの人に支えられてゴルフをさせてもらっているので、そういう人たちにこうやって結果で恩返しできたかなって、初めて思いました」
次なる一歩へ

痛い素振りは全くなく、笑顔でラウンドを続けた内藤
「長かったゴルフ人生の中で、こうやって優勝することができて嬉しい」
優勝インタビューで、少し目を潤ませながら語った内藤。今回の優勝により、国内最終戦「日本シリーズJTカップ」への出場権も手に入れた。
「その時期はいつもQT(予選会)で忙しいんで(笑)。QTを受けなくていいっていいですよね。それが日本シリーズに出られるってなったら、本当に嬉しいです」
飾らない人間味あふれる笑顔を見せた44歳。数々の試練と怪我を乗り越え、不屈の精神と周囲への感謝を胸に手にした栄光は、福島ゴルフ界の歴史に刻まれる鮮烈な一歩となった。
写真/岡沢裕行

