一番大好きな試合の初日、
盟友は静かに旅立った

選手と専属キャディの関係は、様々だが、トム・ワトソンとブルース・エドワーズとの関係は、とても深く、忘れ難い。

1973年からブルースは、専属キャディを務め、80年代、ワトソンが不調のときに「これじゃ、君も生活が大変だし……」と一度は解雇されたのだが、ブルースから「もう一度、一緒にやろうよ。不調なときだからこそ、2人で乗り切ろう」と再びコンビを組んだ。

画像: 96年のダンロップフェニックスでのひとコマ。ワトソンの片腕として名を馳せた

96年のダンロップフェニックスでのひとコマ。ワトソンの片腕として名を馳せた

最強のコンビだった。ところが、2001年、転戦中に、離婚問題でこじれていたブルースの妻が、家を放火し、ワトソンとの思い出の品々も焼けてしまった。そればかりか、今度は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に体を冒されていることが判明した。ゲーリック病と呼ばれる難病である。

ワトソンのショックも大きかった。でも「せめて自分が良いゴルフをし、優勝すれば、ブルースにとっても大きな励みになる」と試合で頑張っていた。

画像: 8つのメジャータイトルをワトソンとともに手にしたブルース。写真は2003年のUSオープン。この時すでに病魔に冒されていた

8つのメジャータイトルをワトソンとともに手にしたブルース。写真は2003年のUSオープン。この時すでに病魔に冒されていた

2004年マスターズ初日。ワトソンはブルースを帯同キャディとしてオーガスタに現れるはずだった。でもワトソンがブルースに会ったのは3週間前で、今回はキャディを務められないことは解っていた。

8日の朝、ワトソンはスタートの準備のためにロッカールームにいた。その時、ワトソンにとってはあまりにも哀しすぎるメッセージを訊くことになってしまった。ブルースの死、である。スタート直前までワトソンは、ロッカールームから出られなかった。

ワトソンが1番ティグランドに現れたのは、スタート時間ぎりぎりだった。初日は、曇りから雨、春雷、サスペンデッド、再開……。
だれもが重たいスタートを切ることになった。(文・三田村昌鳳)

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