昭和40年を底にして、景気は再び上昇し始め昭和41年から昭和45年の実質経済成長率は年平均11.6パーセントにもなり、ドイツを抜いて世界第2位の経済大国になった。
この頃から「経済大国」「エコノミックアニマル」などの言葉が使われるようになり、一般的には“いざなぎ景気”と呼ばれ、高度経済成長第二期ともいわれた。
東京オリンピックまでの好景気が豊かな生活を創り出したが、昭和45年に大阪で万博博覧会が開催されることになり、先に完成していた東海道新幹線に加え、日本初の高速道路、名神高速に続き東名高速道も完成し、大都市間の高速交通網も急速に整備されていった。
第二次世界大戦後から長期に渡り右肩上がりの成長をする例はなく「東洋の奇跡」といわれた時期だ。
この時代の三種の神器は、車、カラーテレビ、クーラーで、頭文字から「3C時代」とも表現された。昭和40年のテレビ普及率8.3パーセントは、昭和45年には91.7パーセント、カラーテレビは7.1パーセントから73.1パーセントと飛躍的に伸び、戦後初の国産旅客機YS‐11が就航したり、朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞、加山雄三の「君といつまでも」が大ヒットした。多くの人が、「楽しさ」「ゆとり」を求めはじめた時代とも言える。
ゴルフ界では、昭和42年日本プロゴルフ協会の女子部として初めてプロテストが川越CCで行われ、26名が受験し全員が合格。計41名の女子プロが誕生している。
男子では西鉄ライオンズの投手からゴルフ場の研修生になり、昭和45年プロテストに合格した尾崎将司は、いままで見たことのないような飛距離でギャラリーを沸かし、昭和46年には早くも公式戦の日本プロゴルフ選手権を制している。
ゴルフ場は、長期に渡る好景気の影響を受けて全国各地に数多く作られていった。
春の甲子園の優勝投手という輝かしい実績で九西鉄ライオンズに入団。この年、西鉄は夏の甲子園優勝投手の池永も獲得した。ドラフト制度がない時代とはいえ、春夏の甲子園優勝投手2人が入団。池永はプロ入団5年で100勝を達成する。尾崎は「池永の壁」に初めて挫折した。1965から1967年、3年で西鉄を退団。
ゴルフは、プロ野球時代の先輩:稲尾とともにはったゴルフ場でのキャンプで覚えた。「野球では勝てなかったがゴルフなら池永に勝てる!」。九州でのゴルフの師匠、藤井義将の紹介で林由郎のいる千葉県の習志野カントリークラブで修行をスタートした。プロ野球退団してわずか2年半、習志野で修行してからわずか1年でプロテストに一発でトップ合格を果たした。
来週の月→金コラムは、プロ通算113勝をあげている「尾崎将司の初勝利!1971年日本プロ」をお送りします!
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