昭和を生き抜いた日本の名設計家、上田治。活躍した地域がら、「東の井上誠一、西の上田治」と言われた。だが調べてみると、北は北海道から南は鹿児島まで、日本列島に55ものコースを上田は作っていた。

設計家としての上田の生き様を決定づけたのは、人生のど真ん中に経験した太平洋戦争だった。上田は、何を見て何を思い、ゴルフの中で生きてきたのだろうか……。

画像: うえだおさむ・大阪府生まれ。京都大学で林学や造園学を学ぶ。故郷大阪に「上田造園事務所」を構え、ゴルフ場や庭園、運動場などの設計と、それらの施工管理を行っていた。周辺環境やその地形、植生に対して調和したコース造りをモットーに活動

うえだおさむ・大阪府生まれ。京都大学で林学や造園学を学ぶ。故郷大阪に「上田造園事務所」を構え、ゴルフ場や庭園、運動場などの設計と、それらの施工管理を行っていた。周辺環境やその地形、植生に対して調和したコース造りをモットーに活動

画像: ゴルファーの基礎知識。日本のコース名設計家、上田治とそのルーツ<前篇>

母校は日本で初めてプールを持った、大阪の茨木中学。上田は水泳部で背泳に打ち込み、100メートルで二度の日本記録を打ち立てる快挙を達成。物事に一心不乱に打ち込む気概を養った。

名匠アリソンとの出会い

画像: 名匠アリソンとの出会い

京都大学在学時に上田は、廣野GCの設計で来日していたC・H・アリソンの助手としてコース造成現場で働く機会を得た。この経験が、後にコース設計家として活躍する礎となったのは間違いないだろう。

ベルリン五輪に審判として参加

上記のように、学生時代に水泳で活躍した上田は、1936年のベルリン五輪に審判としての参加が決まる。当時としては、非常に貴重な渡欧の機会を得た上田は、五輪の終了後にゴルフの本場、英米のコース視察をも決意したのだった。

上田を乗せた船は、当時の一般的な渡欧ルートに則り横浜港を発ち、西へ針路を取った。紅海、スエズ運河を経て地中海に入り、フランスの南部マルセイユに到着。そこから一行は鉄道でドイツに向かった。

五輪後、上田はすぐに英国に渡る。イングランドの内陸コースやスコットランドのリンクスを目の当たりにし、日本との様々な違いに驚いた。芝草の種類や管理方法も仔細に視察したという。

画像: The Championship Course Flyover Hole 14 - Spectacles youtu.be

The Championship Course Flyover Hole 14 - Spectacles

youtu.be

「陸地ながら、砂丘が多くてよいコース」と感想を記したカーヌスティGL。本場のリンクスに心底感動した様子を、上田は綴っている。

画像: www.northberwickgolfclub.com
www.northberwickgolfclub.com

有名な設計法である”レダン”の故郷、ノースベリックGCにも赴いた。「妙味のあるホールが見受けられた」と上田は後に報告している。このコースから、いったい何を感じ取ったのだろうか……。

画像: 目が悪かった上田が愛用していた双眼鏡。初めて見る本場のコースを、これで隅々まで覗いていたのだろう。コース設計時の実地検分にも使われたと思われる、JGAミュージアム所蔵 写真/中居中也

目が悪かった上田が愛用していた双眼鏡。初めて見る本場のコースを、これで隅々まで覗いていたのだろう。コース設計時の実地検分にも使われたと思われる、JGAミュージアム所蔵 写真/中居中也

画像: 英国のクラブハウスをバックに撮ったスナップ。礼服で正装し、敬意を払っての視察だった。

英国のクラブハウスをバックに撮ったスナップ。礼服で正装し、敬意を払っての視察だった。

英国から米国。ゴルフの歴史が辿った道筋を…

続いて上田は、”ゴルフの故郷”英国から、米国へと旅立った。ゴルフそのものが辿った道を、上田自身も経験することになる。東海岸から上陸し、西海岸から日本に帰国。英国とはまた異なる、米国のゴルフを肌で感じ取ったのだった。

画像: http://www.golfclubatlas.com/

http://www.golfclubatlas.com/

「大き過ぎるバンカーが初心者に厳しすぎるやうに思われる」と感想を記したパインバレーGC。ハイハンディキャッパーを苦しめる是非について、自問自答したようだ。コース設計の奥深さを改めて認識した視察だった。

画像: cdn1.pinehurst.com
cdn1.pinehurst.com

パインハーストGCで、上田はある出会いを果たす。スコットランドからやってきたコース設計家、ドナルド・ロスとの邂逅。西洋の著名な設計家との出会いは、上田のゴルフ観に非常に大きな影響を与えたことだろう。

アリソンから受けたゴルフの本質

「『こんなのアリかよ!』と声を出して驚いてしまうようなホールを、上田さんはいくつか設けていることもあります。いったいどこにどんな球を打てばいいのか、ゴルファーは考える暇(いとま)を失ってしまうことさえあるんです」

こう語るのは、コース設計家の川田太三さん、中でも大阪GCの13番ホールを推す。「かまぼこを斜めに置いたようなフェアウェイに対し、プレーヤーには斜めに打たせます。そこに海風も加わって、ショットの楽しみが増す。複雑に見えて楽しい、こんなコースが英国にはけっこうあるんですよ」

画像: 大阪GC13番、バックティからフェアウェイを望む。遠くに見えているのがフェアウェイで、グリーンはティグラウンド右前方。写真/中居中也

大阪GC13番、バックティからフェアウェイを望む。遠くに見えているのがフェアウェイで、グリーンはティグラウンド右前方。写真/中居中也

大きく盛り上がった土地をフェアウェイに使い、離れ小島のような場所にティグラウンドを設置。その場所の土地をそのまま生かして作った、上田の傑作ホールのひとつである。

画像: 大阪GC13番、フェアウェイからグリーンを望む。グリーンの入り口は標準サイズ。木々と海、空を借景としてフェアウェイの先を絞ってあるように感じさせる。写真/中居中也

大阪GC13番、フェアウェイからグリーンを望む。グリーンの入り口は標準サイズ。木々と海、空を借景としてフェアウェイの先を絞ってあるように感じさせる。写真/中居中也

平らよりも起伏。真っすぐよりも斜め。ラインよりも幅。アリソンに薫陶を受けた上田設計の原点がここにある。この大阪GCで上田は、アリソンに学んだことを自分なりに昇華し、表現したいたのだ。

大阪GCのラウンドレポートはこちら! うらやましい……

西の上田が埼玉に造った最終作、こだまGCを回ってきました!

※この記事は、月刊チョイス2010年10月号を再編集したものです

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