ウエストハイゼン、B.グレース、さかのぼればE.エルスにG.プレーヤーと、いつの時代もツアーの上位ランクに名を連ねるのが南アフリカ勢だ。アメリカまで約1万4000km、イギリスまでも約1万km離れた南アフリカでなぜメジャーチャンプが次々と誕生するのか。5回に分けてその真相に迫る。
南アフリカのゴルフの原点ともいうべき人物がボビー・ロック(本名アーサー・ダーシー・ロック)だ。南アフリカ初のメジャーチャンピオンであり、全英オープン4勝を挙げている、まさに南アフリカのゴルフの歴史を作ったといってもいい存在である。
グランドスラマーのひとり、G.プレーヤーは
「75年間生きてきて、これまで私がパットの名手と認めたのはタイガー・ウッズとボビー・ロックだけです」
と語るほどパットの名手であった。ただスタイルはかなり変則で、G.プレーヤーは
「ロックは、パターのトゥの部分をボールに合わせて、ターゲットの右に体を思い切り向ける極端なクローズドスタンスで構えている。その体勢からインサイドに引いたヘッドをループさせてボールの横っ面を引っ叩く。そんな打ち方で、おもしろいようにボールがカップに吸い込まれていくのだから不思議だ」
といい‟パットに形なし”という教訓を胸に刻み込んだという。
実際にロックは
「南アフリカのグリーンは芝目がキツい。それに負けない転がりをボールに与えるためには強烈なオーバースピンが必要なんだ」
と述べている。
ロックはそんな並外れたパット技術を武器に18歳で全英オープンに初出場。20歳でプロに転向し、いきなりニュージーランド、アイルランド、オランダのナショナルオープンで優勝し、その後南アフリカツアーで通算38勝を挙げている。そして1949年、32歳で全英オープンを初勝利し、’50年、’52年、’57年で勝利をおさめメジャー通算4勝を飾った。
ただロックは天賦の才だけに頼って順風満帆の競技生活を送ってきたわけではなく、’39年から’45年にかけては第二次世界大戦で母国の航空隊に配属され、生死の狭間を味わった。そして戦後、米ツアーで活躍していた頃は「外国人のくせに強すぎる。賞金を横取りにきたのか」と誹謗中傷を浴びてツアーの撤退を余儀なくされた。
「試練が我々を強くする」
G.プレーヤーがよく口にするこの台詞は、ロックという天才ゴルファーから学んだ言葉かもしれない。そしてそんな反骨の精神が今日の南アフリカ勢の遺伝子にも受け継がれているのだろう。
次回はそんなロックの精神を受け継いだG.プレーヤーにスポットを当てる
※チョイス No.198より