「異形で異音」のクラブが今の大型ヘッドの礎になった
クラブの高反発規制が適用されたのは08年1月からだが、各メーカーは“ポスト高反発”の技術を模索していた。長尺化や低重心化、深重心化などだ。
ナイキが着眼したのは、高慣性モーメント化だった。05年秋に「SQ(サスクワッチ)460ドライバー」を発売したが、どちらかといえば深重心が売りだった。だが重心を深くすれば慣性モーメントも大きくなりやすかった。これをきっかけにナイキは“慣性モーメント世界最大”を掲げるようになり、07年3月には「SQ SUMOスクェア」を発売。「SUMO」は「スーパー・モーメント」の略で、同時に相撲取りの強さをイメージさせようというもの。
クラブとして異質な形状であることから「異形」と呼ばれるが、その異形が相次いで生まれる。08年にテーラーメイドが「r7 CGB マックス」を発売。r7は当時、ウェートカートリッジによる弾道調整機能を追求していたが、その一方で慣性モーメントを狙っていた。ナイキの四角に対して、ヘッドは三角形。慣性モーメントも同社のモデルとしては最大だった。
しかし、慣性モーメント争いも長くは続かなかった。テーラーメイドはその後、調整機能の充実へと軸足を移し、ナイキも09年に四角形の「SQダイモスクェア」を開発するも、異形はこれが最後となる。慣性モーメント狙いが比較的短命に終わった原因のひとつは、数値的な大きさは必ずしもメリットだけではないということ。ミスヒット時の方向性の安定という点では有利だったが、操作性という意味でいえば、マイナス要因だった。
さらに慣性モーメントのメリットが大きくなるのは3000~4000グラム・センチ平方メートルの間でそれを超えてもほとんど変わらないことをシミュレーションによって分かっていた。これはナイキのモデルに端を発した慣性モーメント競争の成果であり、それを維持した上でカタチ競争に突入していったという点では、意味があった勝負だった。
文/近藤廣
(月刊ゴルフダイジェスト2015年8月号より抜粋)