プロのキャディバッグを覗いて見てもアマチュアのキャディバッグを覗いて見ても、ウェッジがちゃ~んと3本入っている。最近ではストロングロフト化により、4本入る時代になった。ところが、80年代の中ごろはウェッジといえばSWとPWだけ。その2本の間に新しいPSというウェッジを入れたのはジャンボが最初だった。
飛ばし屋でウェッジ使用頻度が高いのでSWを2本入れていた
「AWという呼び名、慣れました?」とジャンボ尾崎に尋ねてみました。
「ダメ、ダーメ。全然慣れないよ」
「やっぱりPS?]
「アドレスしちゃえば関係ないけどな。ソールの刻印見えないから」
ジャンボは冗談めかしてそう答えていた。PWとSWの間、3本目のウェッジの名称である。今季からPRGR(P社)とクラブ契約を結んだジャンボは(2003年当時)、当然P社のそれはAWという名称。しかしジャンボはもう20年近く、3本目のウェッジをPS(ピッチングサンド)と呼んでいた。
そもそも、標準的なクラブセッティングにおいて、ウェッジはPWとSWの2本システムが長く続いていた。それがいつのころからか、間に1本割り込んできた。その先駆けがブリヂストンスポーツ社(B社)製のPSであり、その命名者がジャンボ自身だったのである。
クラブソールに”PS"と刻印されたクラブが登場したのは1984年、当時B社と契約していたジャンボが監修したアイアン、MTNⅢリミテッドエディションからだった。前モデルのMTNⅢはジャンボ3兄弟をイメージした3Jの刻印がカラーとなったアイアンであり、関係者の間では今でも「MTNⅢのカラーバージョン」と呼ばれる名器である。
以降、3本目のウェッジは速やかにゴルファーに浸透し、B社のカタログには88年から掲載され(MTNⅢプロモデル)そして90年前後には、ほとんどのメーカーから3本目のウェッジが発売されて、ほどなく「ウェッジ3本システム」が常識となり、現在では完全に定着している。PSあるいはAW、あるいはFW。その始まりはジャンボだったのである。
ジャンボがPWとSWのウェッジ2本システムからの飛躍を考えたのは、さらに古く70年代半ば。飛ぶ鳥W落とす勢いで日本ゴルフ界を席巻している最中だった。
ドライバーでドーンと飛ばし、SWでチョイと乗せるジャンボのプレースタイルでは、100ヤード前後からそれ以内のショットこそ、スコアメイクに直結した。そのためジャンボは、この範囲をカバーするクラブ研究に余念がなかったのだ。
今でも逸話として「ジャンボはウェッジを4本入れてラウンドした」と伝わるほどだ。真相は、練習ラウンドでのお試しクラブまでをもカウントした早とちりのようだが、当時プロにとってウェッジは絶対無二の存在であり、取り換えるという発想そのものがなかった。そのため何本もウェッジをバッグに入れるジャンボが奇異のまなざしで見られたのだろう。
ジャンボには、たとえウェッジといえども「これしか使わん」というこだわりがなかったのだ。機能的に必要ならばどんどん替える。「これしか使えない」ではなく「こうしたモノを使いたい」という欲求があったのだ。
「例えばロブショットが必要なコースとか、もっとロフトの開いたクラブが欲しかった。そしてSWのロフトを開けば、PWとの差がますます大きくなるから、どうしても”その中間”が必要だった」
2003年月刊ゴルフダイジェスト7月号から抜粋
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