タイガーとキャメロンは兄弟弟子だった
2人の出会いは1980年代半ばにさかのぼる。現在キャメロンが54歳なのに対しタイガーは41歳。一回り以上年の離れた2人に共通点などなさそうだが、実はタイガーが幼少期に父・アール氏と特訓を行っていたカリフォルニアの軍用ゴルフ場(ネイビーゴルフコース)で2人の運命が交錯する。
当時、同コースのヘッドプロだったジョン・アンセルモ氏がタイガーの初代コーチといわれているが、そのアンセルモ氏のレッスンをキャメロンも受けていたのだ。つまり2人は兄弟弟子だったというわけ。
その頃タイガーはすでに将来を嘱望されるジュニアゴルファーのひとり。キャメロンはハンディキャップ2の父親の影響でゴルフに傾倒していたが、こちらは自らがプレーするより自宅のガレージを改造した工房で道具いじりに熱中した口。しかし2人に共通していたのは「ゴルフを向上させたい」という強い思いだった。
タイガーが偉業を成し遂げたときのパターはスコッティ・キャメロン
今でも語り継がれている伝説がある。それはタイガーが全米アマチュアゴルフ選手権3連覇(1994年~96年)の偉業を達成したときのこと。前人未到の3連覇がかかった大会の決勝戦(36ホールのマッチプレー)でタイガーは20ホールを終えて5ダウンと相手に大きくリードを許していた。
しかし土壇場で差を詰め、35ホール目で圧巻の10メートル強のバーディパットを沈めて勝利を手繰り寄せたシーンは、ある意味タイガー伝説の第1章の幕開けだった。結果はプレーオフ2ホール目で3連覇を決めたのだが、そのとき劇的な結末を演出したパターこそスコッティ・キャメロンだったのだ。
「なにか新しいパターを試したい」初優勝も、キャメロンのパターだった
1993年にベルンハルト・ランガーがマスターズでキャメロンのプロトタイプパターを使用して優勝し一躍脚光を浴びた彼は、90年代半ばには自宅のガレージではなく、サンディエゴ(カリフォルニア州)に立派はパッティングスタジオを開設していた。そして多くのプロがそこを訪れることになるのだが、プロ入りして5週間後のタイガーから直接電話がかかってきたのが96年のこと。「何か新しいパターを試したいのですが」とタイガー。
そこでキャメロンは次の試合が行われるラスベガス(ラスベガス招待)に出向き何本かタイガーが気に入りそうなパターを持参。するとそのうちの1本でタイガーはプレーオフでデービス・ラブⅢを破り、記念すべきプロ初優勝を飾るのだ。その後の活躍はご存知の通り。タイガーとキャメロンの蜜月は長らく続くことになる。
タイガーは、2017年ファーマーズ・インシュランス・オープンで1年5カ月ぶりに戦いの舞台に戻ってきたが、2月のオメガドバイデザートクラシックで腰痛のため途中棄権。その後は試合に出ていない。そして4月19日、腰の手術を受けたことを自身のホームページで発表した。
再び遠のいたメジャー15勝目の夢。しかし、復活を果たすための“命綱”がキャメロンのパターであることは間違いない。
(2017年4月21日10時17分、一部表現を修正しました)