今日の常識は明日の非常識
「今日の常識は、明日の非常識になる」
私はそんな思いで14年間にわたり、青山学院大学陸上競技部長距離ブロック、いわゆる青学の駅伝チームを指導してきました。
箱根を走ったこともなく指導者経験のない私にとって、従来の常識を疑うことが箱根挑戦のスタートだったからです。そもそも今までの常識をなぞり、他のチームのマネをしたところで他のチームにしかなれません。どこよりも強く、誰からも愛される超越したチームをつくりたければ、それは常識を超えることから始まるのです。
一例を挙げれば走る前の準備運動。当時全員で集まって「1、2、3、4」とかけ声をかけながらラジオ体操をしていました。私が中学生だった30年以上前からほとんど変わらなかった内容です。「声が小さい」、「ダラダラするな」と大きな声を出して選手を管理するのが仕事だと思っているのが多くの指導者の常識でした。
そうした準備運動にまったく効果がない、とはいいません。しかし、ラジオ体操のあの音楽に合わせて自然と体が動くようになったり、大きな声が出せるようになったりしたところで、果たして速く走れるようになるのでしょうか? まずは、そうした常識を疑うことが、私の指導者としての第一歩、つまり常勝集団・青学誕生の第一歩だったのです。
そうした監督就任当時の私の指導法に対し、白い冷ややかな視線が向けられたものでした。しかし、いまや当時の私の「非常識な指導」は、今日の常識になりつつあることは、青学の昨シーズンの大学駅伝三冠、箱根駅伝三連覇が証明しているでしょう。
さらにいえば私の元には中学、高校の陸上指導者はもとより、大学駅伝部の指導者も視察にやってきます。私としては来る者は拒まずで、練習メニューはもとより寮の生活まですべての指導法をつまびらかにしていますが、だからといってそれをマネするだけでは青学にはなれないし、まして青学を超えることもできません。なぜなら、すでに常識となりつつある私の指導法を疑う姿勢がないからです。
ランニングも同じです。常識とは思考停止した状態が生む固定観念ですが、長くはびこってきた「ランニングの常識」が、みなさんのランニングを窮屈なものに、また長続きしない退屈なものにしてしまっている気がしてなりません。
「1日10分走る青トレ」(ゴルフダイジェスト社)より
写真/野村誠一