スウィングもクラブも、少しずつ変化していた
マスターズで28位タイ、その翌週にPGAツアー初優勝。そんな小平智選手ですが、実は2018年の初戦となったソニーオープンinハワイでは最下位で予選落ちを喫しています。その後、日本ツアーとアジアンツアーの共催試合「SMBCシンガポールオープン」と「レオパレス21ミャンマーオープン」を立て続けに2位で終えて世界ランキングを35位まで上げたものの、その後の試合ではやはり苦戦が続いていました。
PGAツアー初優勝後の帰国会見で、最下位での予選落ちからわずか6戦後に初優勝を果たすまでの間に、どのような変化があったのかを聞いてみました。
「ソニーオープンで最下位になって、そこから結構苦しかった。アーノルドパーマー招待ではどん底というか、何をやっても上手くいかなくてかなり落ち込んでいました。このままではアメリカでは活躍できないなと」(小平)
シンガポールとミャンマーでは2位と結果を残したものの、WGCメキシコ選手権で54位、アーノルド・パーマー招待で予選落ち、デルテクノロジーズ・マッチプレーで予選落ちという結果は、やはり苦しかったようです。そんな中、小平選手はあるヒントを、意外な人物から得たといいます。
「デル・マッチプレーに出てフィル・ミケルソン選手と回ったときに、ショットもアプローチまでいいきっかけをいただいた。それを盗んだというか、自分でモノにしたいというものがあったので、取り組んでみたら急によくなった。そのあと1、2週間でマスターズでの結果になったので、天と地ぐらい変わりましたね」(小平)
具体的にはどんな閃きだったのかは会見では語りませんでしたが、「クラブが体に巻きつくような感じでスウィングしていたところを参考にした」ということのようです。
「ミケルソン選手だけでなく、他の選手も改めてみてみると皆同じように見えました。そこはやっていかなくてはならないと思いました」(小平)
一流選手からのいいイメージをすぐに自分の中に取り入れる。その柔軟性が運んできた快挙だったのです。
ミケルソンによってもたらされたスウィングの閃きともうひとつ、クラブセッティングにも要因があったようです。小平が契約するプロギアのツアー担当・中村好秀さんに話を聞いてみると、実はクラブに関しても調整を繰り返していたことがわかります。
「クラブの調整は試合の合間に帰国する度にやっていました。ドライバーの長さも何度も調整して最終的には44.25インチで落ち着きました。実はアイアンも、アーノルド・パーマー招待の前に、同じモデルながらヘッドを少し小さくシャープなものに変えています。
シャフトも、ダイナミックゴールドのS300(※硬さの表記)を番手をずらして軟らかくなるように入れました。米ツアーの芝に合わせて抜けがよくなるように、ロングアイアンでも球が上がりやすいようにと提案させてもらいました」(中村好秀さん)
たとえば、4番アイアンに入れるシャフトを5番アイアンに入れると、シャフトは柔らかくなります。これが「番手ずらし」ですが、このような微調整も、調子を上向かせる一因となっていたようです。
初出場のマスターズで28位タイ、その翌週に初優勝。順風満帆に見えても、そこにたどり着くまでにはどん底を味わい、そこから這い出ようともがいた、必死の努力があったのです。