池田勇太のツアー通算20勝目となる節目の勝利で幕を閉じた第50回アジアパシフィック・ダイヤモンドカップ。決勝2日間ラウンドレポーターとして選手のプレーをチェックした佐藤信人が、選手たちの戦いぶりと池田勇太の勝因となった“変化”を語る。

記念すべき第50回アジアパシフィック・ダイヤモンドカップは池田勇太選手が節目の20勝目を6打差の圧勝で飾りました。アジアンツアーとの共同主管競技で、普段とは違っていろんな国のいろんな選手を見ることが出来て非常に興味深い試合でした。

飛距離が出る選手も多く、ドライビングディスタンスでは日本ツアー側の最高は池田選手の5位で、上位4人はアジアンツアー側の選手が独占しました。週の初めは練習場ではすべてのクラブを打てましたが、アジアの選手が何名かネットを遥かに超えてしまい危険だということで、大会途中から練習場はアイアンのみの練習に変更になる一幕もありました。

画像: ドライビングディスタンス1位を獲得したカート・キタヤマ選手(写真は2018年のダイヤモンドカップ 撮影/姉崎正)

ドライビングディスタンス1位を獲得したカート・キタヤマ選手(写真は2018年のダイヤモンドカップ 撮影/姉崎正)

ドライビングディスタンス1位で賞を獲得したカート・キタヤマ選手は初めてプレーした日本で4位タイと健闘しました。キタヤマ選手はるみ子さんという和歌山県出身の日本人の母親と、クリフォード・キタヤマという日系人の父親を持ち、見た目も日本人みたいで身長も170センチとやや小柄な印象の若者です。

ネバダ大学ラスベガス校というアダム・スコットやチャーリー・ホフマンらを輩出したゴルフ部名門校の出身で、体育会の中で勉学が優れている学生に与えられる賞を毎年受賞した秀才でもあり、2015年に財政学専攻で卒業してプロ転向しました。

昨年はWeb.comツアーでプレーしましたが、今年はアジアンツアーを主戦場とし、この秋には日本ツアーのQTも受験するそうです。小さい体で大きなゴルフをするキタヤマ選手に今後も注目していきたいと思います。

画像: 今大会で節目の20勝目を飾った池田勇太(写真は2018年のダイヤモンドカップ 撮影/姉崎正)

今大会で節目の20勝目を飾った池田勇太(写真は2018年のダイヤモンドカップ 撮影/姉崎正)

さて20勝目を飾った池田選手。決勝2日間ラウンドリポーターとして付きましたが、あんなに穏やかな雰囲気でプレーする池田選手をこれまで見たことがありません。普段は陽気な一面もあれば、ミスしたときには悔しい表情を見せますし、強い選手特有の少し近寄りがたいオーラも放ち、いろんな表情を見せるのが池田選手です。

ところがダイヤモンドカップではこちらが気を使ってしまうくらい話しかけに来てくれるし、同伴競技者のナイスプレーを心から喜び、次のホールに向かう途中で子どもとハイタッチをし、ハウスキャディさんと終始和やかに会話をしたりと、パットが決まらずイライラしてもおかしくない時間帯も穏やかにやり過ごしました。

ANAオープンが地震の影響で中止になり、ディフェンディングチャンピオンの池田選手は北海道へ飛び、試合の代わりの番組に生出演しました。北海道の被害状況を人から聞いたり目の当たりにして、何か強く感じることがあったのでしょう。

ホールアウト後のインタビューで「北海道の人たちがテレビで見ていると思うと自然と穏やかな気持ちでプレー出来た」というような話をしていました。明らかに何かを背負って穏やかな表情でプレーしているように見えたので、インタビューを聞いて納得でした。

画像: 終始穏やかにプレー。終わってみれば6打差の圧勝だった(写真は2018年のダイヤモンドカップ 撮影/姉崎正)

終始穏やかにプレー。終わってみれば6打差の圧勝だった(写真は2018年のダイヤモンドカップ 撮影/姉崎正)

また池田選手は日本オープンに2度優勝していて、JGAの厳しいセッティングに強い印象です。JGAのセッティングは通常のツアーよりもフェアウェイが狭く、ラフが深く、ホールロケーションが厳しいことが多く、選手が多くのことを考えさせられるセッティングになっています。池田選手は普段から道具をはじめ、技術からコースマネジメントまですべてにおいて非常に細かく繊細です。

グリーンの手前に池がある6番パー5。池田選手はフェアウェイからの3打目をウェッジでピンの右約5メートルに乗せました。その後一緒にまわっていたチャン・イクン選手はピンをデッドに狙いピンの根元に落ちた球はスピンがかかり池まで落ちてしまいました。

それを見るなり池田選手が近寄ってきて「あれが怖かったんですよ。ピンの右に打っとけば傾斜は少し右だから、スピンがかかってもまともに池の方に落ちてこない」とそっと教えてくれました。パー5のウェッジでの3打目をカップ周りの傾斜まで計算してしっかりと危険回避し、そしてバーディパットを決めて優勝へと突き進みました。

今回は池田選手が持つ繊細さと、北海道で受けた精神的ショックが作用して、今までとは一味違う優勝になったように見えました。

This article is a sponsored article by
''.