ベテランゴルフライターに染みた、陳清波の言葉
陳清波プロから取材の都度、いろいろな指導を受けたが、私が新しいアメリカ打法に目を向けるようになったのは、昭和44(1969)年のころであった。陳清波プロの弾道とインパクト音、来日したビッグ3の強烈な飛距離、それに昭和42年の西日本オープンで、プロを抑えて優勝した中部銀次郎氏のインパクトと、両手首をアドレスの形のままに残したフォロースルーなどが、直接の誘因だったように思う。
中でも、中部銀次郎氏のアップライトなスウィングから繰り出す正確なショットは、魅力がいっぱい詰まっていた。とくにインパクト以降も、左手首を折らずに「くの字」の凸型にしてハイフィニッシュへ進んでいく振り抜きには、なんともいえない新鮮さがあった。極端にいえば、私が新打法にのめり込んだのも、この中部銀次郎氏のインパクトからフォロースルーの美しさに魅せられたからといってもいいかもしれない。
こうした新しいスウィングで活躍する内外の選手たちを目にすると、私も若かっただけに血が騒いだ。これからは新技術による長距離ヒット時代がくるという思いが、私をアメリカ型の新スウィング挑戦に踏み切らせたように思う。
新しい打法で最初にマスターしなければならないのが、スクェアグリップだが、いざやってみると難しくてなかなか身につかなかった。陳清波プロが「1日1ミリずつ」左へ回していったように、プロでさえ、そのくらい微妙な直し方をしても、なかなか思うようにフィットしなかったというのだから、その難しさがわかろうというものだ。
スクェアグリップは「左手は手のひらで、右手は指で握る」のが鉄則だが、まず、この握り方が私には違和感が残ってダメだった。
私が学生時代に教科書としていた『ゴルフの習い方』(摂津茂和著、大泉書店=1954年刊)にも「現在のアメリカの一流選手たちは、ほとんどみな、二つのVが右肩を指すのが正しいと主張している」と書かれていたし、ゴルフ教科の講師だった原田治先生からもそのように教わっていた。
このようにゴルフを始めてから15年近くも、両方の指だけで握るフックグリップでプレーしてきているのだから、新グリップに違和感があって当然なのだが、それよりも当時の私には、なんとなくグリップを軽視する傾向があったように思う。
白状すれば「グリップなんかいつでも直せる。それよりも新スウィングの決定的特徴は中部選手のフォロースルー」と思い込んで、手首を使わずボディターンで打つ中部型スウィングへ練習の重点が移ってしまったのである。今考えれば、まったくバカなことである。
生半可なグリップは、いつの間にか、両V字が右ほおと右肩の中間点近くに向いていた。ほとんど以前のフックグリップに近くなっていた。それに気がついたのは、ずっと後になってからである。
私は土台となるスタートをいい加減にして、格好ばかり求めて新打法に挑戦したわけである。こんな軽挙には罰が当たったのは当然で、その後、私の新スウィングからは、ひどいフックしか出なくなってしまった。
そのときに、ちょうど陳清波プロのこんな言葉を目にした。
「一部分を真似ても何にもならないの。その前にどういう動きがあって、そのあとにどういう動きがあるのか、少なくともそれを全部チェックしないと、その動きの意味がわからないし、真似できないでしょ」(『ゴルフファンダメンタルズ』ゴルフダイジェスト社=2000年刊)
さらに続けて、陳清波プロは、ゴルフのスウィングは奥が深く、隠された部分がたくさんあるから、目で見ただけではわからない。その隠された部分をどうやって知るかが、上達のポイントになるといっている。この陳清波プロの言葉に接して、私は、中部氏のスウィングの格好よさに惹かれて、単純に凸型の左手首だけを真似ていた自分が恥ずかしくなった。
そして、それをきっかけに一から出直すつもりでスクェアグリップに取り組んだものだ。
陳清波プロの言葉は、文字にするとある意味厳しいが、このように私にとって大きな気づきを与えてくれた。独特のエスプリのきいた話は、何より素直に耳を傾けることのできるものであった。
「ゴルフ、“死ぬまで”上達するヒント」(ゴルフダイジェスト新書)より *一部改変