沖縄県勢として15年ぶりの勝利
ウィニングパットを決めた瞬間、比嘉の瞳に涙が滲んだ。
「ゴルフをはじめたときからダイキンオーキッドで優勝するのが夢でした。夢が叶って本当にうれしい」といったヒロインは15年前、まだクラブすら握っていない小学生だった。
アマチュア時代には日本女子アマ選手権で2連覇(11年&12年)しナショナルチームの一員として活躍した。その直後にプロ転向すると「大器」は期待に応え13年のヤマハレディースオープンで早くもツアー初優勝。賞金ランク8位に躍進し海外挑戦も視野に入れるほど前途有望な存在になった。
ところが翌年から徐々に歯車が狂いはじめる。持ち前のショットが影を潜め成績は下降線。15年は17試合連続予選落ちを喫するなど賞金ランク95位でまさかのシード落ちの憂き目を見た。
当時「ドライバーイップスでは?」との憶測が飛んだがのちに比嘉は関係者に「ティグランドイップスだった」と打ち明けている。
新ルールではティグランドといわずティイングエリアと呼ぶが、ドライバーだけでなくパー3のティショットさえ、ティイングエリアに足を踏み入れることで平常心でいられなくなり思うように体が動かなくなる。
かつて宮里藍も米ツアー2年目にドライバーが絶不調となり「ティグラウンドに上がるのが怖い」といったことがある。
普通なら出ないような逆球が突然試合で出る。最初はあれ、なにが起こったんだろう? 程度の思いで済むが次第に葛藤が渦巻くように。
特に宮里や比嘉のように幼い頃から何も考えなくても球が前に飛んでいたプレーヤーが一旦あれこれ考え始めると収拾がつかなくなる。負のスパイラルから脱出するには大きな努力と限りない忍耐が必要になる。
スランプに陥ってからおよそ2年。17年のNEC軽井沢72で比嘉はトンネルの先に灯りを見出し復活優勝。だがそこまでの道のり、そして苦悩は察するに余りある。
昨年はさらに調子を上げ賞金ランク4位に入り、今年地元Vという最高の形で新しいシーズンをスタートさせた。どん底から這い上がり比嘉は再び大きな翼を広げ未来へと羽ばたく。その視界の先にあるのは賞金女王、そして来年に迫った東京オリンピックの晴れ舞台だ。
撮影/姉崎正