休んでいるグリーンを起こすな
赤星四郎さん設計の九ホールズ。熱海の街の頭上に七十余年の歳月を送ってきた熱海ゴルフ倶楽部は日本の隠れた宝石と讃えてもいいでしょう。私たちについたキャディさんは機敏な動きといい旗竿の丁寧な置き方といい三重丸の仕事をする人でした。
ベントグリーンの季節でした。ミスした私のボールは隣りの高麗グリーンの外に止まっていました。キャディさんがカートを止めたところの反対側でした。ここは転がしで寄せたいと判断した時、タイミングよくキャディさんが顔を向けてきました。
私は右手でパー、左手でチョキを見せました。うなずいたキャディさんは、高麗の外側を小走りに来て、私に七番アイアンをくれました。このやりとりも快いものでしたが、もっと嬉しかったのは、グリーンの外側を遠回りしたルートの取り方でした。
そのあとのホールで、グリーンのピン位置は次のティの方向とは反対側の端にありました。私はパッティングの後が楽しみでした。この人ならきっと、と思ったからです。期待どおり旗竿を立てると、彼女は次のティの方向へまっすぐ向かわず、いったん横へグリーンを出て、カラーの外側のルートを遠回りしました。ピン・プレースメントの意味をよく知っている人の歩行マナーです。
グリーンは手前右からABCD......というふうにエリアを四〜六面に分け、一番グリーンがAなら、二番はD、三番はBにとピンの位置を振ります。言うまでもなくグリーンへの攻め方に変化をもたせてプレーヤーに楽しんでもらうためのサービスです。
翌日はピン・ポジションをそっくり変えます。それは二日続けて来るお客へのサービスのためではありません。ピン・ポジのローテーションは、プレー上の戦略に変化をもたせるものですが、コース管理の側ではグリーンの保護のための重要な戦術なのです。
手前のAエリアにカップが切ってあるということは、その日は奥のDやEのエリアの芝を休ませたいという意図です。草は弱い生き物で、中でもグリーン上の芝はぎりぎりまで刈り込まれていますから、薄い肌のようなもので傷みやすい。前日みんなに踏みつけられたストレス解消のために、数日間休ませてあげなければなりません。
パッティングを終えたプレーヤーみんなが次のティヘDやEのエリアを踏んで行ったら、静かに寝息をたてて傷や疲れを癒そうとしている芝生にとって安眠妨害です。
だから、最寄りのカラーから出て、グリーン外周を回るのが歩行のマナーです。わかっている人はかなり少ない。わかっている人でも(白状しますと、つまり私でも)急ぐせいでしょう、ついついグリーンを縦断してしまうことがあります。まだ身についていないことがバレバレです。これはゴルフマナーの中で高等な部類のマナーでしょう。毎度できれば高等部に上がれるのですが......。
セントアンドルーズのグリーンキーパーでもあったオールド・トム・モリスの名言があります、「ゴルファーには必要でなくても、グリーンには休息日が必要なのだ」
ところで熱海のキャディさんはハウスに上がる道すがら私に、古参メンバーから教えられたというクイズを出しました、「コースでいちばんだいじな道具はなんでしょう」ウェッジだろうか、パターだろうか。「正解は、芝刈り機。そのメンバーさんは、眠りから覚めたグリーンの髭剃りだっておっしゃってました」
「脱俗のゴルフ 続・ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
撮影/増田保雄
※一部訂正致しました(2019.04.28 15:55)