ミケルソンのミドルネーム“アルフレッド”は母方の祖父の名前
ミケルソンは全米オープンの最終日(6月16日)49歳の誕生日を迎える。今季はすでにペブルビーチGLで行われたAT&Tペブルビーチプロアマで優勝を飾り史上最多の大会5勝目を挙げている。
全米オープンは過去2位が6回。これもまた2位の最多記録である。50歳に手が届くプレーヤーに期待を寄せるのはミケルソンだからこそ。
舞台のペブルビーチは1919年会場の名門だが、オープンした当時少年キャディの一員としてバッグを担いだのがミケルソンの母方の祖父アルフレッド・サントスさん、通称アルだった。
1906年、コースに程近いモントレーにポルトガル人の父と母の間に生まれたアルは少年キャディを経てやがて漁師だった父の影響で漁業に携わり、30年代の大恐慌の時代にサンディエゴに移り住んだ。そこで船を手に入れてマグロ漁の漁師となり70キロ級のマグロを釣り揚げる“ツナマン”として有名になった。
やがてミケルソンの母・メアリーさんが誕生。運動神経抜群の彼女は海軍パイロットでゴルフフリークのフィルさんと結婚し70年の6月にミケルソンが生まれている。ミケルソンは父の名をファーストネームに、祖父の名をミドルネームにいただいた(ミケルソンのフルネームはフィル・アルフレッド・ミケルソン)。クラブを握った幼い日から天才ぶりを発揮してきたのはご存知の通り。
祖父のことが好きでたまらなかった彼はツアーで優勝するたびに大会フラッグにサインをしプレゼントしていた。それを自宅の壁に飾って眺めるのがアルの至福のとき。だがあまりにもフラッグが多くなり祖母に「あなたもういい加減にしてください。貼る壁がないですよ」と飾るのを止められたエピソードも。
話をペブルビーチに戻そう。祖父が新聞売りがかぶる帽子をかぶりウールのズボンを履き、靴には自作の段ボールのインソールを忍ばせた少年キャディの時代、祖父はあることを信じていた。
どこかで耳にした「ポケットに銀の硬貨を入れている限りあなたは決して貧しくはない」といういい伝えだ。
数十年に渡って祖父がポケットに忍ばせていたその硬貨はいまミケルソンのポケットのなかにある。彼はそれをペブルビーチでボールマーカーにするという。
祖父所縁(ゆかり)のボールマーカーをお守りにミケルソンは自らの誕生日を最高の形で祝うことができるだろうか。