言ってあげる気持ち、言ってもらえる幸い
昔のゴルフ倶楽部には、勝手な振る舞いを叱責する怖いゴルファーがいました。程ヶ谷CCの鬼軍曹と言われた井上信さんのことは以前にも書きましたが、社会的な肩書きにはお構いなく、良くないものは良くないと言う人でした。
それは井上さんに日本アマチャンピオン(編注:1918年に優勝)というゴルフの肩書きがあったからではないのです。「わたしは米国在任中からゴルフをやって来た。ゴルフでは先輩格であるからそういう役にまわるのだ」と話していたそうです。
井上さんが程ヶ谷で会員間の平等主義に努めたのは、元殿様、元華族の多い駒沢(東京GC)を意識してのことだと言われています。ところが、その駒沢のほうにも勇ましい人がいました。平民のビジネスマン・川崎肇さんです。
ある時、後ろから球を打ち込まれました。振り返ると某元華族。悪いことをしたという様子も見せない。カチンときた川崎さんは彼らが来るのを待ち、「コースではみんなゴルファー同士ではないか」と言って一歩も動かず、元華族に頭を下げさせたそうです。明治の親に育てられ、大正、昭和を生きた男たちの気骨が知れる話です。
二人よりひと回りちょっと後に『愛染かつら』『新吾十番勝負』などの作家・川口松太郎さんがいます。ゴルフに魅せられてすぐに小金井CCの平日会員になりました。ある日一番のティインググラウンド(編注:刊行当時。現在はティイングエリア)に上がって素振りをしました。振るたびにダフるビギナーでした。すると背後から「おい君」の声。ある老会員が「まだコースに出るのは早い。あそこでよく練習してからにし給え」と練習場を指差して言いました。
それからというもの川口さんはクラブの振り方を一生懸命勉強するとともに、ゴルフマナーも一生懸命勉強したそうです。大久保房男著『文士のゴルフ』(展望社)に紹介されている話です。 「やがてゴルフ年齢を重ね、川口さんが文壇の後輩を「バカヤロー、そんなところで素振りする奴があるか」と叱る側の人になり、丹羽学校では道徳科教授と呼ばれました。
バンカーからグリーンへ急斜面を駆け上がろうとして「バカヤロー」の洗礼を受けた人は何人もいたようです。
川口さんは叱り役をきっちり継承した人でした。「叱責の言葉はきついが、音声や口調にユーモラスな粧いがしてあるから、むっとする者はいなかった」と大久保さんは書いています。
それにしてもいまの私たちは、叱ることに怠慢、そして叱り下手です。大阪にある上六話し方教室の谷口政明先生は、叱らないことの罰点を四つ挙げています、「叱らない原因はおっくうがり、勇気不足、気がね、事なかれ主義だ」と。まことに耳の痛いことであります。そして「叱ることは親、管理者の責任と義務である」とも。「ゴルフのビギナーやマナー知らずに注意することは、ゴルフの先輩の責任と義務」と言われていると受け止めましょう。
叱りの理想があるそうです。「叱らないのがベスト。そのために予防する。事前の注意を心がける」 なるほどなるほど。それならできそうではありませんか。
「脱俗のゴルフ 続・ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
撮影有原裕晶