ニクラスとの死闘、59歳であわや優勝……数々の歴史をリンクスに刻んだ
「もう戦えるだけのツール(道具)がなくなってしまった」と一抹の寂しさを交えつつ全英からの引退を明言したトム・ワトソンはいつも通りの笑顔を浮かべ「最後の全英で予選を通れてよかった」と低音ボイスを響かせた。
ロイヤルリザム&セントアンズでのラストランは「ゴルフがどんなに難しいゲームかを知り尽くしている人々の前で戦えて良かった。さまざまなシーンが思い浮かんでグッときたけれど涙は出なかった
」。
ワトソンの全英デビューは鮮烈だった。いまから44年前、当時25歳だった彼は“世界でもっとも難しい”といわれるカーヌスティでいきなり優勝を飾ったのだ。するとその2年後本人いわく「大きな転機」が訪れる。
それはターンベリーでの全英オープン。ジャック・ニクラスと直接対決となった決勝ラウンドの36ホール。サンデーバック9の12番まではニクラスを2打差で追いかける展開だったが終盤4つのバーディを奪って帝王を逆転。最終18番では7番アイアンのセカンドショットをピンそば50センチにぴたりと寄せバーディを奪い1打差で2つ目のクラレットジャグを獲得した。
ラウンド後ニクラスから強く抱きしめられ「自分も死力を尽くしたけれど足りなかった。おめでとう!」と耳元で囁かれたことは「忘れない」。
学生時代からトップを走り続けたエリートのニクラスとは違い「自分は海のものとも山のものともわからないその他大勢のラビットからのスタートだった」とワトソン。「でもターンベリーの一戦でビッグボーイ(ニクラス)とも互角に渡り合える自信がついた」
2人の名勝負は「ターンベリー真昼の決闘」とうたわれ長く語り継がれることになるのだが、そのターンベリーでいまから10年前(09年)ワトソンは奇跡を起こす寸前までいった。
最終日の17番までトーナメントをリードしあわや59歳のチャンピオンが誕生するかに思われた。しかし最終ホールのボギーでスチュワート・シンクに並ばれ、プレーオフを戦ったものの惜敗を喫している。
普通なら「この歳でよく頑張ったものだ」と自画自賛するところだがワトソンは「10年たっても悔しさは拭えない」と勝気なセリフを口にする。いくつになっても“ミスター全英オープン”は「勝つため」に戦っているのだ。そして「勝つためのツールがなくなった」いま潔く戦線から退くことを決めたのだ。
じつは最愛の妻ヒラリーさんが現在膵ガンで闘病中。全英は最後でも競技から引退するわけではないが「今後の予定は風任せ。妻との時間を増やし一緒に(病と)闘うよ」。そういうとリンクスの名手は静かにコースを後にした。