「プレーオフはしたくない」。渋野は攻めて勝つことを選んだ
やがて迎えた運命の18番。424ヤード、パー4。相変わらず笑顔でギャラリーとタッチを交わす渋野に緊張の色はない。
風は右からのフォロー。ドライバーを握った瞬間グッと表情が引き締まる。打球は260ヤード先の狭いフェアウェイのセンターをとらえた。
リーダーボードは逐一チェックしていたから、自分がどの位置にいるのか渋野は把握していた。その時点でサラスと並ぶ17アンダー。ここでバーディを決めなければ決着はプレーオフにもつれ込むことになる。
残り163ヤードの第2打地点、渋野は青木にこう打ち明けている。
「プレーオフはしたくない。(プレーオフになったら)負ける気がする」
決して弱気の虫が頭をもたげたわけではない。最終ホールはバーディで締めたかった。
「ならここでカッコよく決めよう」
コーチの声に頷いた渋野は大好きな駄菓子を齧ったあと6番アイアンでショットを放った。
シュッのはず…。だが実際にはドシュッに近かった。ギャラリーの歓声にかき消されそうになりながら青木は打球音を聞き逃さなかった。「ちょっとダフったな」。
コーチの心配をよそに球はグリーン中央の尾根を越えピン手前5、6メートルについた。本当の勝負はここから。プレーオフなしで決着をつけるなら沈めなければならない。
のるかそるか。
日本勢42年ぶりのメジャー勝利の快挙はあるのか? ギャラリーはもとより夜中にテレビに釘付けになっていた日本のファンが固唾を飲んで見守るなか、本人の頭のなかにあったのは「どんなガッツポーズをしようか」ということだった。バーディが決まりさざ波のように湧き起こる歓声がすでに渋野の耳朶の奥に響いていたのだろうか。
18番フェアウェイをゴールに向かって歩を進めながら、にこやかにギャラリーの拍手に迎えられた渋野はキャップのつばに軽く手をやりグリーン手前で一礼した。バーディパットは下りのスライスライン。
「ここで決めるか3パットか」
覚悟はとっくの昔に決まっていた。
「浅めに読んでいる。強めにいくつもりだな」
弟子の決意は青木にも痛いほど伝わっていた。
「ガッついて」打った。
その瞬間、渋野の希望は確信に変わった。もし入らなければピンを大きくオーバーするのは必至の勢い。打球は右から左へゆるやかなカーブを描きカップに向かい…そして飛び込んだ。
会場がどよめく。その中心にいたのはまさしく“シブコ”こと海外初参戦の20歳、渋野。このバーディパットがバック9を締めくくる31打目だった。
パターを握ったまま左手を大きく天に突き上げる。現地メディアが名付けたスマイリングシンデレラが浮かべた満面の笑みは目の肥えたイギリスのギャラリーを総立ちにさせるほど魅力に溢れていた。
同伴プレーヤーのアシュリー・ブハイが思わずバンザイをし、拍手を贈るほど輝いていた。
右手を振ってギャラリーの大声援に応えながら「涙が出るかと思ったら出なかった」と渋野は愉快そうだった。笑いが止まらない。
「(ラウンド中に食べたものが)いま出そうです」と周囲を笑わせる。
おとぎ話のシンデレラは白馬に乗った王子に出会い幸せを掴む。この場合カボチャの馬車を引く役回りは青木だろう。魔法の杖を自ら操り、渋野は異国の地で白球がぴたりと収まる魔法の靴を手に入れた。
「トロフィーはトロフィーなので王子様とはいえないけれど、いままでで一番価値のあるものを貰ったな、と思います」
スマイリングシンデレラの微笑みが劇的なクライマックスを見届けたすべての人のハートをとろかした。
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