「小さい頃はこれでもゴルフはとてもうまかったんだ」
2019~2020年PGAツアー第2戦「サンダーソン・ファームズ選手権」は、コロンビアのセバスチャン・ムニョスが昨年度のルーキー・オブ・ザ・イヤーのイム・ソンジェとのプレーオフを制し、ツアー初優勝を遂げた。コロンビア人選手ではカミロ・ビジェガス以来、二人目のPGAツアーチャンピオン。この優勝により2022年までのシード権と来年のセントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズやプレーヤーズ選手権、マスターズなどの出場権を獲得した。
1戦目の「ア・ミリタリートリビュート・グリーンブライヤー」でツアー初優勝を果たしたチリのホアキン・ニーマンに次ぎ、南米出身の選手が2週連続優勝を遂げたのもツアー史上初の出来事である。
「表彰式のときにいろんなことを考えていたらニヤニヤしてしまったよ。ハワイ(セントリートーナメント・オブ・チャンピオンズ)はもうすぐだな、とか、マスターズにも行けるなぁ、とか。何年か前には警備員の仕事をしていたこともあったけど、今はこうしてPGAツアーのチャンピオンになれた。一生忘れないよ」
彼は3歳で父の手ほどきを受けながらゴルフを始めたが、子供の頃はバレーボールや円盤投げが得意だったという。その後、勉強のため米国・ノーザンテキサス大に進学し、ゴルフ部にも入部したが、決してプロになろうとか、PGAツアーで戦いたいなどとは考えていなかったようだ。
だが、大学時代、ゴルフ部の仲間であり、ともに暮らしていたカルロス・オルティスが大学卒業後にプロの道を歩み、ウェブドット・コム・ツアー(現コンフェリーツアー)で優勝する姿を見ているうちにムニョスの考えは変わった。
「今ではカルロスに大きく引き離されてしまったが、小さい頃はこれでもゴルフはとてもうまかったんだ。だから僕もちゃんと練習すればもう少し彼のレベルに近づくことはできるだろう。ジュニアの頃は僕だってチームでNO.1だったんだから。ゴルフを真剣にやってみて試合で優勝できればプロになろう。勝てなければ家業(ゴムのプランテーション農業)を継ぐことにしよう」
その後彼は、コロンビアのミニツアーを転戦して2勝を挙げ、ウェブ・ドット・コムツアーに推薦出場するようになった。現在のコーチのトロイ・ダノンにも出会い、「もっといいプレーができるようになるよ。そうすれば優勝もできる」と言われ、スウィング改造に踏み切ったという。それが功を奏し、2018年のコンフェリーツアーシーズン初戦からニュースウィングで戦うようになって、予選落ちも激減。スウィングに安定感が増し、トップ10入りの回数も多くなった。
そして2019年は晴れてPGAツアーのシード権を獲得。フェデックスカップランキングで117位に入り、なんとか今季のシード権も獲得した。春先は予選落ちが続く日々もあったが、ツアー終盤の7〜8月はほとんど予選落ちなし。リーダーボードの上位にムニョスの名前が登場することも増えていたが、それでも彼は「自分はまだ優勝するような実力者じゃない」と自信を持ちきれなかったという。
だが、ムニョスの気持ちに再び変化があらわれた。チリ人のホアキン・ニーマンが初優勝をしたのを見て、「自分も十分優勝できる位置にいる」と認識を新たにしたのだ。
「彼が先週勝ったのを見て、僕にも優勝する力が十分にある、ということがわかったんだ。まるでパズルの最後のピースがハマったかのような感じだった。僕も優勝争いはできる。PGAツアーメンバーにもなれて、こうして今、ここにいるんだから。彼が優勝トロフィを掲げている姿を見て何かインスピレーションを感じたんだよね。先週は僕も調子がよくて、7位に入った。いつかは自分も優勝できると信じ始めたところだったけど、まさか今週とは……努力が報われてよかったよ」
大学時代、アメリカでともにしのぎを削ったオルティスがいなければムニョスはこのPGAツアーにはいなかったかもしれず、先週のニーマンの優勝がなければ、ムニョスの優勝もなかったかもしれない。結局は自分自身で選んできた道なのだが、彼の場合は何か周囲の人間たちの活躍が彼の人生にいい刺激を与え、いい方向に導いてくれているような雰囲気がある。
以前は、日本でも人気のあったビジェガスの名前を聞くことも最近ではすっかりなくなってしまったが(ちなみにビジェガスの弟が、ルーク・ドナルドのキャディを務めている)、今後は、ムニョスがコロンビアのゴルフを引っ張っていく。