PGAツアー「セーフウェイオープン」でツアー2勝目を挙げたキャメロン・チャンプ。彼がウィニングパットを決めた直後に見せたのは笑顔ではなく、涙だった。その理由は!?

祖父と孫。そして家族の絆がPGAツアー2勝目を生んだ

2019〜2020年PGAツアー第3戦「セーフウェイオープン」は、キャメロン・チャンプ(米国)のドラマチックな感動劇で幕を閉じた。過去2戦、ホアキン・ニーマンとセバスチャン・ムニョスという二人の南米出身の選手たちがツアー初優勝を遂げ、喜びと笑顔の明るい優勝シーンだったのに対し、彼のそれは「涙」。しかし決して2勝目を挙げたことに対して、単純に嬉しくて泣いていたのではない。この優勝は彼にゴルフを教え、人生を教えた最愛の祖父マックへ捧げる1勝だったからだ。

昨年、「サンダーソンファームズ選手権」でツアー初優勝を遂げた、ツアー屈指の飛ばし屋キャメロン・チャンプ。アダム・ハドウィンの追い上げを1打差でかわしてツアー2勝目を飾ったが、ウィニングパットを決めた直後、彼は溢れる涙をこらえようと目頭を抑え、キャディとしばらく抱き合っていた。

優勝直後、感極まった父のジェフは泣きながら携帯電話で誰かと話をしていたが、電話口の向こう側はマック。「僕たちは父さんのために勝ったよ!」息子と抱き合って祝福した父は、息子に携帯電話を渡すとキャメロンから直接祖父に優勝の報告をした。

画像: セーフウェイオープンを制し、ツアー2勝目を挙げたキャメロン・チャンプ(写真は2019年のウェイストマネジメントフェニックスオープン 撮影/姉崎正)

セーフウェイオープンを制し、ツアー2勝目を挙げたキャメロン・チャンプ(写真は2019年のウェイストマネジメントフェニックスオープン 撮影/姉崎正)

キャメロンがゴルフを始め、PGAツアーで毎年優勝できるような才能溢れる選手になれたのは、実はゴルフが大好きなマックのおかげ。彼の存在なくしては、現在のキャメロンはない。マックは現在、70歳を過ぎ、胃がんのステージ4と宣告されてホスピスで余命を過ごしている。

元ベトナム帰還兵の彼は、持ち前の強い精神力と情熱でガンと闘ってはいるが、時々「もう(自分の人生も)終わったようなもんだ。これ以上もうガンと闘いたくない」ということもあるという。今、チャンプ家は家族全員がまもなく死を迎えることになる祖父を想い、できるだけ一緒の時間を過ごしたいと寄り添っているが、セーフウェイオープンの会場であるナパは祖父が暮らすカリフォルニア州サクラメントから車で1時間ほどの場所にあり、地元のようなもの。大好きな祖父とできるだけ一緒に過ごしたい、と毎日サクラメントから1時間の道のりを車で通ったという。

「今週は練習ラウンドを一切せずに初日を迎えた。祖父のことしか頭になかったんだ。ゴルフはもちろん大好きだし、僕の人生でもあるけど、これはもっとも重要なことではないと気づいた。ゴルフよりももっと大事なことがたくさんあるとわかったんだよ」

キャメロンはシューズ、ボール、グローブなどありとあらゆる場所にPOPs(おじいちゃん)と書き、全身全霊をかけて祖父のためにプレーしていた。彼のウェッジには祖父からの教え「今まで歩んできた道よりも、これからどこに向かおうとしているのかが大事だ」が刻まれており、祖父母が好きな聖書の言葉「あなたの行くところ、どこにおいても主を認めよ。そうすれば正しい道を歩み、目標に到達できる」をタトゥーに入れている。

そして祖父からは「我慢」と「集中」を日頃から徹底的に教え込まれてきた。あらゆるものに祖父を感じながら、彼のために闘い抜いた1週間。最愛の祖父に喜んでもらい、少しでも生きる活力を与えたいと捧げた勝利だった。だから優勝した瞬間、様々な想いが頭をよぎり、思わず感情的になって涙がこぼれたのだ。

「祖父は僕に、(そばに寄り添うよりも)試合に出てプレーをしてほしいと思っていたのは知っていた。祖母がホスピスで亡くなった時もそうだったからね。祖父が1日中ゴルフ中継を見てくれていたのはわかっている。おじいちゃんは大丈夫。いつも全力で頑張っているから」

ここで少し祖父のマックについて、説明を加えたい。マックのバックグラウンドやゴルフにかける情熱を知れば知るほど、キャメロン自身のゴルフにかける想いや、どんなことを考えてプロゴルファーとしての道を歩んでいるのかを理解できるからだ。

黒人のマックはテキサスのゴルフ場でキャディをしながら生計を立てていたが、1950年代は人種差別が激しく、「黒人はゴルフをすることが許されていなかった」(キャメロン)時代だった。1960年代初頭、ヨーロッパへ空軍兵として赴いた時に、空軍の敷地内のゴルフ練習場でボールを初めて打ったそうだが、初ラウンドのスコアは132 。その後彼は『サム・スニードのナチュラルゴルフ』という本を購入し、独学でスウィングを学んだ。

その後マックは腕を上げ、70台をマークするようになった。息子のジェフ(キャメロンの父)にもゴルフを教えたものの、彼は野球やサッカーなどの他の球技に没頭。のちにボルチモア・オリオールズやニューヨーク・ヤンキースのマイナーリーグでキャッチャーを務めた。ゴルファーにはならなかったが、アスリートとしての才能はキャメロンに脈々と受け継がれている。

孫のキャメロンが誕生すると、マックは孫にプラスチックのクラブを与えた。息子とは違い、孫はゴルフが大好きに。「おじいちゃんの家に行って、ボールを家の屋根越しに打つのが好きだったんだ」とキャメロンは語っている。

近所のパー3コースで、サム・スニードのレッスン本仕込みの祖父からスイングを学び、5歳でトーナメントに出場するようになったキャメロン。その才能は家族だけでなく、メディアからも注目されるようになった。

だが、チャンプ家には問題があった。当時は、ファーストティプログラムなどでジュニアゴルファーへ支援する体制が今ほどできていなかったため、もともと裕福ではないチャンプ家の財政をキャメロンのゴルフが逼迫した。そんな時、周囲の友人や理解者たちから金銭面でのサポートを受けることができたおかげで、彼はゴルフを続けることができ、その才能は開花したのだった。

その後、奨学金を得てテキサスの大学に進学。一昨年鳴り物入りでプロ入りし、昨年にはツアー初優勝を遂げ、順風満帆な人生を送っているように見えるが、その背景には全てをキャメロンのゴルファー人生にかけた家族の情熱や期待、犠牲の元に成り立っている。

彼はプロ入り早々「キャメロン・チャンプ・ファンデーション」を立ち上げ、子供たちの教育やジュニアゴルファー、特に黒人などのマイノリティへのサポート活動を行なっているが、その背景には子供の頃に受けた寄付やサポートに対する感謝の気持ちと、祖父が受けた人種差別をなくし、誰もがゴルフを楽しめる時代にしたいという想いがある。

マックは「自分のことは差し置いて、他人のことを熱心に思いやる人間」だという。そんな人格者である祖父は、彼にとって“ヒーロー”であり、最も影響を受けている人物。来年はマスターズに出場する権利を得たが、そこまで祖父の命が持てばいい、と願っている。祖父から教え込まれた教えと、人を思いやる気持ちを大事に、プロゴルファーとしての人生をこれからも歩み続けていく。

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