静岡県のローカルテレビで今年オリックスブルーウェーブにドラフト2巡目で指名された県出身の17歳、紅林弘太郎選手の特集が組まれていた。
「プロになる」という高い志を持った紅林選手は高校時代、通っていた高校のバス停の周りに落ちているゴミを誰にいわれたわけでもなく拾い続けた。夢だったプロの世界に入ることが決まったいまもその日課は続いている。
ただ野球が上手いだけではなく人としてどう生きるべきか? そんな崇高な精神が垣間見えたシーンを目にしてある光景が脳裏に甦った。
宮里がアマチュアナンバー1とうたわれた頃から師匠である父・優さんが会場に駆けつけると、よくコースに落ちているゴミを拾っていたもの。
妹の藍さんが第一線で活躍しているときも、長男・聖志がひょうひょうとゴルフ界を泳いでいるときも、優さんは3兄妹のスウィングをチェックしながらコースでゴミをみつけると痛む股関節をかばいながらしゃがみ込んで拾っていた。
「少しでも(子供たちに)いいことがあればね」と父は照れたように笑った。コーチといえど試合中は外から戦況を見守るしかない。ゴミを拾って徳を積む。その心がけがいかにも優さんらしかった。
藍さんが参戦していた全英リコー女子オープンに応援に駆けつけた優さんが、会場で倒れ病院に搬送されたのは17年のこと。幸い命に別条はなく現在も沖縄でレッスンを行っている。
父が自分の名前のひと文字をつけたほど3人のなかでも優作は特別な存在だ。太平洋御殿場コースでアマチュアながら3日目に9アンダー63をマーク(00年)し最終日最終組をプレーしたときから「優作はアマチュアでプロの試合に勝たなきゃいけない」と父は幾度となくそういっていた。
あいにく優作はアマチュア優勝を逃した。その代わり末っ子の藍さんが兄が果たせなかったアマチュア優勝の夢を実現させた。
優作にとってはアマチュアVどころかプロでの優勝も遠かった。いつの間にか“藍ちゃんのお兄ちゃん”と呼ばれもした。だが優作はプロ11年目の13年日本シリーズの大舞台で劇的な初優勝を飾った。以来ツアー通算7勝。17年には賞金王にも輝き、父の夢だった「マスターズ行き」をプレゼントした。
あいかわらず優作のスウィングは美しい。それは優さんが手塩にかけて育てあげた芸術品。だがゴルフはスウィングがすべてではない。ヨーロッパでは実力を発揮しきれずシードを失った。そして戻った日本、懐かしの御殿場で初日トップタイの好発進を切った。
おそらく優作は大器晩成なのだろう。40歳を迎える来年こそなにかまた大きなことをやってくれそうだ。