全英オープンが10年ぶりにイングランドのロイヤル・セントジョージズで開催
時折激しい雨が降りしきる全英らしいコンディションとなった最終日。トップからスタートしたクラークがフィル・ミケルソン、ダスティン・ジョンソンらの追撃をかわし42歳にして初のメジャーチャンピオンに輝いた。
じつは彼、大会前には本気で現役引退を考えていた。実際「うちに来ないか?」と声をかけてきたゴルフ関連企業もあった。北アイルランド出身のプレーヤーとして節目=20回目のジ・オープンを戦うにあたり「これでダメなら人生の第2章を考えるべきだろう」という思いがあった。
その5年前(2006年)クラークは妻ヘザーさんを乳ガンで亡くしている。2人の男の子に恵まれ20年連れ添った最愛の人は39歳という若さでこの世を去った。当時まだ幼かった息子は以降クラークが男手ひとつで育てることになった。
気丈に振る舞っても悲しみは癒えることはなかった。世界最古のメジャーで優勝争いを演じながらクラークの脳裏に浮かんだのは亡き妻のこと。後続に3打差をつけ逃げ切ったクラークはウィニングパットを沈めると両腕を天に突き上げ「妻も誇りに思ってくれているはず。家族の誇りになれたのがうれしい」と歓喜した。
最終日最終組をクラークと回ったのはDJことジョンソンだった。いまでこそ300ヤード飛ばすのが当たり前になったが10年前はジョンソンはツアー屈指の飛距離を誇りアスリートゴルファーの代表格として名を馳せていた。
その彼がアスリート体型とはほど遠いお腹を突き出した16歳年上のクラークに敗れたのだからゴルフは何があるかわからない。
ジョンソンにとってメジャーでの最終日最終組は3度目。前年(2010年)の全米オープンでは3打差のトップからスタートしながら最終日82を叩いて自爆。同年の全米プロでもバンカーをウェイストエリアだと勘違いしクラブをソール。ペナルティを受け目前だったメジャー優勝は指の隙間からこぼれ落ちた。
当時のジョンソンは飛距離も体格も才能にも恵まれながら肝心なときに勝ち切れずノミの心臓と揶揄されていた。ちなみにその頃ジョンソンのバッグを担いでいたのはジョー・カバラ。ご存知の通りタイガーを支える超有名キャディだが、ジョンソンが2011年の全英オープンでクラークに敗れ2位タイに終わった数ヵ月後、タイガーの誘いで専属になった。
果たして今年コロナに感染した松山英樹は全英に間に合うのか? ジョンソンは10年前のリベンジを果たすことはできるのか? 好調ジョン・ラームのメジャー2連勝はあるのか?
昨年行われるはずったったロイヤル・セントジョージズでの全英オープンが中止になり1年遅れでの開催と相成った。今回はどんなドラマが待っているのだろう?