興奮と課題探しのオーガスタ。「ウワーッと終わりました」
2019年4月11日、金谷拓実は初めてマスターズトーナメントの1番ティーイングエリアに立った。
「今までにない感じで、すごく緊張していました。出だしのティーショットは左の林に入って……」
いつも冷静に試合運びを考える金谷でさえ、緊張するのがオーガスタという舞台なのだろう。
しかし、そこからリカバリーしていきなりバーディ。続くホールもバーディ。上々の滑り出しだったが、思うようにスコアは伸ばせず初日は1オーバー44位タイ。2日目は持ち前の粘りのゴルフで2オーバー、カットラインギリギリで予選を通過した。3日目は「パットの調子がよかった」と4アンダーで39位タイに順位を上げローアマチュアも狙える位置に。しかし、4日目は6オーバーと崩れ58位タイが最終成績となった。
「3日間に比べてパットもよくなかった。疲れも出たのかなと思います」
4日間のフェアウェイキープ率85.71%は全体で1位。金谷らしさを発揮できた大会でもあった。
「飛ばないから。スコアをもっとよくすることを考えたい。ザック・ジョンソン選手と3日目に回って、こういう選手でもメジャーが取れるんだと思ったけれど、上を目指すには全部をレベルアップしないといけない。視野を広げて土台を築きたい」と、初のメジャー挑戦を終えた。
半年後のインタビューで金谷は、初オーガスタを振り返って冗談交じりにこう表現してくれた。
「練習ラウンドのときも何だかウワーッみたいな。18ホールずっとウワー、ウワーと言い続けて歩いた。そして試合になったらもっとウワーッという感じでした(笑)」
夢舞台で、興奮とともにあっという間に終わった時間。またこのとき金谷は、過去に見たマスターズで印象に残った選手にシャール・シュワーツェルを挙げた。
「全然知らない選手が、最後に4連続バーディを取って優勝した。その印象が強いんです。そのとき松山さんがアマチュアでベストアマを取ったのを知らなかったくらい(笑)」
脇役ともいえる選手が、主役になっていく姿に何を思ったのか。
マスターズも通過点。やるべきことは変わらない
金谷拓実は初めてのマスターズの切符を、2018年のアジアパシフィックアマチュア選手権の優勝で得た。日本人選手としては松山英樹以来7年ぶりの快挙だった。
その松山は初マスターズでローアマチュアを獲得、その後着実にPGAツアーのトッププロとしての階段をのぼっていった。
初マスターズ出場の前、松山と比べて自分の位置を問われたとき、「まだまだ全然、これからです。たまたまマスターズに出られたというだけ。でも、出るだけが目標ではないし、通過点だからやるべきことは変わらない。いつもそのときやるべきことを見つけ、それに向かってやっていきたいと思っています」と答えた。その後も松山を追うように活躍。都度、偉大な先輩と比較され、「まだまだ全然です」と言い続けてきた。
それから2年――2021年のマスターズで、背中を追い続ける先輩がグリーンジャケットを着て主役となった。「本当に感動して、もっと頑張らないと、という気持ちにさせていただいた」。
その直後、金谷は日本ツアーの開幕戦、東建カップでプロ2勝目を飾っている。「僕も世界ランクトップ50は狙っていきたい。とにかくどの試合も優勝目指して頑張ります」。
しかしその後意気込んで乗り込んだPGAツアーで、歯車は狂った。
「最初に出た全米プロのコース(キアワアイランドゴルフリゾート)が、距離は長いし、好きな言葉ではありませんが周りの人がよく言う『コースが合ってない』感じで。もうまったくダメになった」
全米プロは 初日スコア75、二日目85で予選落ち。この“おかしな感じ”を以降も引きずることになる。体重も4キロ減った。
「結構練習はしたんです。でも真っすぐ飛ばない。(コーチのガレス・)ジョーンズとも2、3回話をしましたが、涙が出てくるんです……キャディさんに慰められるだけでした」
2021年を「ただただ苦しかった」と振り返る金谷。海外の試合に出て成績を重ね、欧州やアメリカのツアーカードを取るという目標が崩れたからだ。調子はまったく上がらなかった。
「自信があれば同じ調子でも3、4勝はできたかもしれない。自信がなくなりイライラして落ち着きもないし、自分の技術に100%コミットしてないのがわかるし、ショットにも結果にも表れるし」
確かに、持ち味である“勝負強さ”が消えていた。帰国後の12試合、予選落ちはゼロでトップ10入りは9試合もあるが、勝ち星がない。
「自信は、次の試合に向けての1カ月でどれだけやるかで表れます。東建で優勝できたのも、オフにしっかり取り組んで“背骨”みたいなものができていたから。積み重ねたものが大事。でも、積み重ねていたのに海外の2カ月で結果に出なくて、自信がなくなりました」
それでも、自分を見つめて努力し続けるのが金谷拓実という男だ。帰国後、トレーニングを週3回に増やした。「筋トレもかなりやりました。やさぐれていたので(笑)。昨年はもう、歯を食いしばることしか考えてなかった」と言うが、この積み重ねこそがまた新たな自信を生む。
そして国内最終戦の日本シリーズJTカップ。3日目を終えた時点で首位と6打差の7位タイ。しかし最終日に逆転優勝して賞金王のチャンスもある。もう1つ、この試合で3位以内ならマスターズなどの出場権が得られる「世界ランキング50位」以内に入ることを知って臨んでいた。
迎えた最終ホール。数々のドラマを生んだ東京よみうりCCの18番パー3。何も考えずただピンだけを狙い、5UTで打ったボールはイメージ通りにピン奥に着弾、傾斜で戻り、ピン下1メートルについた。
「計算もクソもない(笑)。いい方向に飛んだとは思いましたが、硬くなったグリーンに落ちたらオーバーするだろうなと。でも上手くいった。リーダーボードを見ると、後ろの組は17番が取れても18番はボギーのほうが多いから、これを入れたら3位以内に入れると思いました」
金谷は、世界ランク50位がかかった勝負のパットをねじ込んだ。派手めのガッツポーズが出た。“あきらめない”は金谷の流儀なのだ。
“泥臭い”ゴルフで。脇役にはならない
そして、日本シリーズを見ていた松山英樹が悪い部分を電話で指摘してくれたのだという。
「ドライバー以外は当てるだけになっていると。パッティングのスタンスを開くようになったのも自分を支えきれないからじゃないかと。体力不足もありますよね。でも、忙しいのによく見てくれているなと。ドキッとしました」
ずっと先を歩く先輩は、後に続く後輩たちをさりげなく見守る。
そして、金谷の背中を追う者もいる。現在世界アマランク1位の中島啓太もそのひとりだ。中島は、昨年の全米アマで初日80を叩き心が折れたとき、金谷の電話で立ち直った。
「啓太から連絡がきて、偉そうに『自分を見つめ直すきっかけに』と伝えたかな。でも、啓太はアレがあったから、その後の取り組みが絶対に変わった。だから僕も海外の2カ月の経験で、きちんと自分を見つめ直してきっかけにしなければいけない。前に進もうとしなければ、きっかけにもならないんです。大事なことです。僕は、やっぱり前のめりに進み続けたいと思います」
金谷の言葉に「自信」をもらった中島が、昨年のアジアアマで優勝した。立ち止まってはいられない。
「トレーナーさんから聞いたんですが、よく次のステップを踏むのに『扉を開く』と言いますよね。でも実は、前の扉を開くことよりも重要なのは、後ろの扉を閉めることなんです。それに後ろの扉を間違って開けてもいけない。いつまでも後ろが開いているから戻りたくもなるし、足場がないから落ちる。きちんと後ろを閉めて、前を開ける。松山(英樹)さんも結果的にはそうですよね」
2022年、金谷拓実はすでに「後ろの扉」を閉め、世界一の場所を目指して戦っている。PGAツアーという、よりレベルが高く、厳しい場所に身を置いて強くなる。
「目標ですか……やっぱりツアーカードは取りたい。そうしないと始まらない。だから出られる試合は出てポイントを稼ぎたい」
目標をクリアしてはまた目標を積み上げてきた。マスターズも通過点ではあるのだ。4月、ディフェンディングチャンプとなった先輩と、頼もしい後輩と同じ舞台に立つ。自ら“泥臭い”と評するゴルフをオーガスタで見せてくれるのではないか。
2年前の試合、金谷は主役ではなかった。ローアマチュアを獲得したのはアマ時代から金谷としのぎを削って今はトッププロとなったビクトール・ホブランだ。最終日には同組のブライソン・デシャンボーが16番でホールインワンを決めた。パトロンたちの大歓声のなか、彼に抱き付かれた金谷は3パットのボギー。そして何より、あのタイガー・ウッズが14年ぶりのマスターズ制覇を遂げ、復活に世界中が沸いた試合だった。
金谷にはアマチュアの特権「屋根裏部屋」に宿泊し、仲間とリビングでバスケットの試合を見たよい思い出もある。しかし、プロとなった今、ただ思い出に浸るわけにはいかない。
「メジャーなのでいいプレーをしたいですが、メジャーに出ることが今度は足掛かりになる。前に出たときのような気持ちでは臨めません。“つかむため”の試合です」
今年、プロとして初出場するマスターズで、脇役になるつもりはない。