1930年、球聖ボビー・ジョーンズは年間グランドスラム(全英・全米両アマ、全英・全米両オープン)を達成すると、28歳の若さで競技ゴルフから身を引く。引退後、故郷のジョージア州アトランタに理想のコースを造るべく土地探しを始めた。しかし、故郷では自分が思うような土地が見つからず、見つけたのは州都アトランタから240キロ離れたオーガスタの果樹園だった。

創設者ジョーンズは「ただ美しいだけでなく、戦略性の高いコースを」と望んだという。私見によれば、コースが開場した時点では60パーセントしか完成していないのだから、“改良”を続けることは当然だったが、その挑戦を続けているのがオーガスタの伝統なのだ。

コース自体は、世界の名門ゴルフクラブとして、毎年5位以内に選出されても、ベスト1に選出されることはない。だが、コースとクラブ関係者が常に創設者の意思を反映することに全力を注いでいる点ではつねに生き続けているクラブなのである。

オーガスタには逆パターンのショットを必要とするホールが多々ある。左下がりのライから高い球を打たせて、横長グリーンへのアプローチ。受け勾配の強いグリーンへのロングショット。風の吹き抜けるグリーンへのショートアイアン……などだ。

また昔から傾斜を利用して距離を稼ぐドローボールが有利といわれてきたが、それが突然、最終ホールはフェードが必要、しかも27メートルの打ち上げになる。各ホールで違うショット―14本のクラブをすべて使って―が打てなくてはスコアにならない。これらの変化こそ、高低差のある地形がもたらしたものといえよう。

画像: 1935年 アウト・インの入れ替え 1932年に開場してから最初の3年はアウト、インが逆だった。アウトは朝方霜が降りるので、インからのほうがプレーしやすいというのが主な理由で、第1回大会を開催した1934年の秋から変更し、1935年の第2回から今の形になった

1935年 アウト・インの入れ替え
1932年に開場してから最初の3年はアウト、インが逆だった。アウトは朝方霜が降りるので、インからのほうがプレーしやすいというのが主な理由で、第1回大会を開催した1934年の秋から変更し、1935年の第2回から今の形になった

バンカーが少ないことも特徴だ。44個しかない。写真や画面で見る限り倍の数ありそうに思えるのは、グリーンを囲むバンカーの大きさ、見栄えなどそれぞれの存在感がしっかりと表現されているからに違いない。またジョーンズもマッケンジーも、バンカーは“見えるもの”というコンセプトが強かったらしく、隠れたそれは1つもない。必要によっては砂面の内側に凝固剤を混ぜてでも、白い壁をせり上げて、プレーヤーに見せる努力をする。

またボールが必要以上に目玉の状態にならないように、砂の中に潜り込まないようにと壁面の砂をほどほどに固める工夫もしている。白い砂は石英を細かく砕いたもの。青空に映える美を意識してのものだ。

44個あるバンカーの配分もまたおもしろい。アウトの24個に対してインは20個、グリーン周りに限定するとアウト15に対してインは17。ここまではうなずける数字だが、フェアウェイバンカーはアウトの9つに対してインは3つしかない。しかも10番のフェアウェイバンカーは昔、このホールがもっと短かったときにグリーンをガードしていたものが、フェアウェイ中央に残されたままのものだから、よほどのことがない限り入ることはない。12番と16番のパー3は別として、あとは11番からずっとフェアウェイバンカーはなく、18番に来て初めて気になるバンカーが現れる。

画像: 製造中に8番ティーイングエリア予定地からショットをするボビー・ジョーンズ。その右がアリスター・マッケンジー

製造中に8番ティーイングエリア予定地からショットをするボビー・ジョーンズ。その右がアリスター・マッケンジー

右ドッグレッグ、最低地点から27メートル上がっていくタフなパー4だ。実は9番から17番までフェアウェイにバンカーはない。同GCはドローボールが有利といわれるゆえんか。ただ最もプレッシャーのかかる最終ホールで突然、上りの斜面へフェアウェイバンカーを避けてフェードボールを要求する戦略性は果たしてジョーンズの考えか、マッケンジーか……。44個の少ないバンカーもこんな見方をするとおもしろい。

●1958年「アーメンコーナー」の由来は?/1958年4月21日号のスポーツイラストレーテッド誌で、記者のハーバート・ウォーレン・ウィンドは「いろいろなことが起きるこれらのホールに名前を付けるべきだ。その時にふと浮かんだのはジャズのShoutingin that Amen Cornerという曲だった」というのが名前の由来。11番の2打目から13番のティーショットまでで、13番グリーンはアーメンコーナーではないとされる

●1981年 バミューダ芝からベント芝へ/1980年までオーガスタのフェアウェイとグリーンは夏芝のバミューダ芝だったため冬には茶色くなってしまう。1981年からグリーンはベントに、フェアウェイはバミューダが茶色になる時季から冬芝のライグラスをオーバーシードし、4月には絨毯のような緑のフェアウェイと高速グリーンになった。現在はグリーンを3ミリ台に刈り込み、速さは平均14フィートを超える

監修/川田太三(コース設計家)協力/武居振一(JGAゴルフミュージアム参与)
構成/古川正則 写真/宮本卓、ゴルフダイジェスト写真部 

 

 

 

 

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