イタリア初のメジャー王者に王手
1995年の第124回大会。初日、2日目を首位タイで折り返したジョン・デーリーは、3日目にスコアをひとつ落とし、首位のマイケル・キャンベルに4打差の4位タイから逆転を狙う。強風が吹き荒れる最終日、多くの選手がスコアを崩す中、最終組の2組前を回るデーリーは6アンダー単独首位で先にホールアウト。勝負の行方は後続の組にゆだねられた。この時点で優勝の可能性を残していたのは、最終組のイタリア人、コスタンティノ・ロッカ。17番を終えた時点で、首位のデーリーに1打差と迫り、優勝するには18番でバーディが絶対必要な状況だった。
まさかのザックリ、からの……
18番でロッカが放ったティーショットはグリーン左の窪地、通称「罪の谷」の手前まで飛ばすビッグドライブ。だが2打目をウェッジでピンを狙うも、まさかのザックリ。ボールは「罪の谷」に転がり落ちてしまう。これで勝負あり、とデーリーも含め誰もがそう思ったが、そこからパターで打ったロッカの球は上り傾斜をスルスルと進み、カップのなかへと消える起死回生のミラクルパット。あまりのうれしさに両拳を天に突き上げたあと、地面に倒れ伏して喜ぶロッカ。これで首位に並びデーリーとの4ホールのプレーオフに突入。イタリ人初のメジャー誕生となるか……
しかし、この1打でロッカはすべてを使い果たしたのか、1ホール目でボギー、3ホール目でダボとし、4ストローク差でデーリーがメジャー2勝目を手に入れた。イタリア初のメジャー王者誕生は、23年後の2018年、全英オープンのフランチェスコ・モリナリまで待たれることとなる。
アマ時代のタイガーも、この年に全英初出場
まだアマチュアだった19歳のタイガー・ウッズが、この大会で全英オープンデビュー。初日100位と出遅れたが、予選通過を果たし、68位タイで4日間を終えた。また、アーノルド・パーマー最後の全英オープンでもあった。
【日本人成績】友利勝良24位タイ、佐々木久行31位タイ、中嶋常幸49位タイ、川岸良兼79位タイ、予選落ち/尾崎将司、鈴木亨、高見和宏