世界最古のクラブ「オナラブル・カンパニー」のホームコースであるミュアフィールドはクラブハウスの中だけではなく、コースにも歴史的ストーリーが詰まっているんです。
273年目にして初めて女性会員が認められることになり、全英オープン開催コースのローテーションにも復帰しました!
そんな記念すべき全英女子オープンに出場された橋本三月選手(東北福祉大学在学中)にお会いする機会があり、ミュアフィールドでのプレーは「風の吹く方向によって、ボールの飛び具合が大きく変わるのでゲームが毎日変わるため、ゲーム性の幅が広くてとても楽しかったです!」といったお話をお伺いすることができました。
ちなみに、大会期間中の風は同じ方向だったそうです。
セント・アンドリュースを模範とした海岸線に沿って直線的に行って帰ってくる旧来の設計ではアウトがアゲンストならインはフォローといったように、風向きが単調になってしまいます。
ということで、今回はコース設計の歴史を少しご紹介させてください。
ミュアフィールドのここがすごい!
スコットランドのコース設計で大活躍したモリスによるホールごとに風の方向が変わるのはループ状のコース設計にあります。1891年にミュアフィールドの原型を設計したのはスコットランドで活躍したオールド・トム・モリスです(全英オープン発祥の地、プレストウィック設計)。
コース全体が時計回りのループを描くなかに、セミループ状のホールを中に食い込ませたのが初期のコース設計です。
メリットはなんといってもゲームに与える風の影響です。コースをループ状にすることで、18ホールあらゆる角度からの風を経験することができるため、多様な状況判断と技術が求められるようになりました。
その後1925年にロンドンから招いたハリー・コルトによりコースの改造がおこなわれ現在に至っています。
土地を追加し、コースの拡大を行いながら18ホールを9ホールずつに分けて、外側を時計回りにアウトの9ホール、内側には反時計回りにインの9ホールというように2つループ状のコースを回るようにしました。
こういったミュアフィールドのコース設計は世界の中でとても高い評価を受けています。
ハリー・コルトは『近代設計の父』と呼ばれていて、ケンブリッジ大学のゴルフ部で弁護士の資格を持っているんです。この時代が、先人の経験や現場主義だったモリスからの洗練されたコース設計である『戦略型設計』への境目なのです。
日本とのゆかりはというと、1930年に日本を訪問して東京ゴルフ倶楽部朝霞コース(現存しない)や、廣野ゴルフクラブといった日本の名門を設計したアリソンバンカーで有名なチャールズ・ヒュー・アリソンのお師匠さんなんです。当時、日本人はハリー・コルトを招きたかったそうですが、年齢的に難しいとのことで一緒に仕事をしていたアリソンが日本に来日したという事情があったそうです。
いかがでしたか? 橋本選手のひと言がきっかけで、世界のコース設計の歴史を辿ることができました! 素晴らしい経験談をありがとうございました。今後のご活躍を応援しております!