ジャック・ニクラスと同郷のオハイオ州に生まれたゲイ・ブリュワー。高校生のときに全米ジュニアアマを制し24歳でプロ転向。5年後の61年に初優勝すると、その年に3勝を挙げトッププレーヤーの仲間入り。66年のマスターズでは、最終日に首位タイスタートのニクラスを2打差で追い、前半だけで3つのスコアを伸ばし17番まででトップに立つ。しかし18番で、入れれば優勝という1.5メートルのパーパットを外し、ニクラスとトミー・ジェイコブスの3人が同スコアで並ぶ。翌月曜に行われたプレーオフではニクラス70、ジェイコブス72に対し、ブリュワーは78。ニクラスが史上初のマスターズ2連覇を達成した。
だが翌年のマスターズでブリュワーは1年目の雪辱を果たす。3日目を終え首位と2打差という前年と同じ位置からスタートした最終日、13番からの3連続バーディなど67をマークして見事に逆転優勝を飾ったのだ。このマスターズの1勝を含め、ブリュワーはPGAツアーで通算10勝を挙げているが、そのほかにも2度のライダーカップで勝利に貢献。また72年のカナディアンオープンでも勝利を収めると、同年10月に来日し、千葉の総武CCで開催された第1回太平洋クラブマスターズに出場した。そして圧倒的な飛距離を武器に初代王者に輝く。
このときブリュワーが使っていたのが米国のアルディラ製のカーボンシャフト。その真っ黒な見た目から「ブラックシャフト」と呼ばれ、日本で一大ブームを巻き起こすことになる。翌年には本間ゴルフがブラックシャフトを装着したクラブを発売し、釣り具メーカーのオリムピックが国産カーボンシャフトを開発。翌年にはフジクラも初のカーボンシャフト「フライラン」を発売した。
今では、誰でも当たり前のように使っているカーボンシャフトだが、50年前のゴルファーにとっては”高嶺の花”ギアだったのだ。