国内2部ツアーのABEMAツアー。10月最終戦のディライトワークスJGTOファイナルで2勝目を飾り、逆転賞金王に輝いたのが大堀裕次郎。兵庫生まれ、大阪学院大出身の31歳。ABEMAではホールアウトした選手を放送席に呼ぶのが恒例ですが、コテコテの関西弁で気の利いた面白いコメントをしてくれる選手です。
大阪学院大4年で関西アマ、日本アマを獲得する大堀くんですが、解説の仕事で彼のことを調べているとき、JGTOのプロフィールで、大学時代にドライバーイップスになり湯原(信光)さんに習ったりして克服しシードを取るまでになったのだと知りました。普通、イップスは積んだ経験に比例して悩みを抱えたベテランを襲うものです。ですから「大学生でもイップスにかかるんだ」が、やはりイップスにさいなまれたボクの初印象でした。
プロ転向は13年。15年にはチャレンジツアーで1勝を挙げ、16年にはレギュラーツアーで初シードを獲得。そこから18年まで3年連続でシード権を守りました。実績のある選手だけに、当時、この連載で初優勝が期待される選手として、何度か名前を挙げたものでした。
ところが19年、仕事で行った試合会場で見る大堀くんのゴルフは惨憺たるもの。特に後半戦のマイナビABC、HEIWA・PGM、三井住友VISA太平洋では3試合連続でビリでの予選落ち。フェニックスはビリこそ免れたものの81人中80位。確かVISAの10番だったと思いますが、ティーショットが信じられないくらい曲がって右の林に飛び込んだのを見ました。当時は70台を出すのも難しい感じでした。
一度、ラウンドレポーターをするボクに、彼のほうから話しかけられたことがありました。「もう佐藤さんはゴルフをやらないんですか?」。イップスを経験した人は大抵ゴルフをやめようと思ったことがあるはずなので、変な答えをしたくなくてあれこれ考えて、返答に戸惑いました。
後にイップスではなく、右足首の捻挫からスウィングを壊したことが判明しますが、20年の冬に手術するまでの約2年間の苦しみは想像を絶します。学生時代に頂点を極め、プロに入っても大きな期待をかけられてきた、そんな選手が80台しか出ない……自暴自棄になっても誰も非難はできないくらいです。
ただ手術を経て、彼自身が殻を破っていった気がします。ひとつは体が大きくなったこと、もうひとつはメンタルの成長です。困難を乗り越えた自信がコメントの端々にうかがえ、たとえば逆転賞金王のかかるABEMA最終戦の2日目には、「明日はサラッと勝って(プロ野球の)クライマックスを観に行きます」。勝つ気満々でもなく、かといって虚勢でもなく、小さいことにとらわれない人間的な大きさがにじみ出てきた感じです。
また小平智選手と仲が良く、21年のホンダクラシックではキャディを務め、今年のZOZOチャンピオンシップではラウンド観戦をしています。小平くんの前向きな性格や言動にもいい影響を受けたかもしれません。来季のレギュラーツアー初優勝に期待です。
※週刊ゴルフダイジェスト2022年11月29日号「うの目 たかの目 さとうの目」より