ハワイ出身の日系3世、デービッド・イシイは1980年から日本ツアーに参戦。だが86年まで国内ツアーの賞金ランクは日本人と外国人が分けられており、87年から一本化。それに伴い賞金シードは前年までの40位以内から60位以内へと拡大され、外国人の日本プロゴルフ選手権への出場も認められることになった。6月の札幌とうきゅうオープンとミズノオープンを制していたイシイも、前年の賞金ランク5位の資格で7月の日本プロに初参戦。2日目にトップに立つと、自身の32歳の誕生日でもあった最終日も逃げ切り、外国人選手に門戸を開放した初の日本プロを制覇。その後も勝利を積み重ね、5勝を挙げて挑んだのが12月の日本シリーズ。
当時は前半2日間が大阪、移動日を挟んで後半2日間が東京で行われていたが、87年の第24回大会は大阪ラウンドの初日が雪で中止。2日目の第1ラウンドに青木功が首位に立つと、東京よみうりCCに舞台を移した3日目の第2ラウンドでイシイが追いつき、1打差の3位にイシイと賞金王を争っていた尾崎将司、という白熱する展開に。しかし、最終日も雪で中止となり青木とイシイが優勝を分け合うという結果に終わる。これで6勝目を挙げたイシイは賞金ランク2位の尾崎との差を約800万円に広げ、尾崎が翌週の大京オープン欠場を表明したため、日本ツアー史上初となる外国人選手の賞金王が誕生した。
この23年後、2010年にはキム・キョンテ、2011年にベ・サンムンが賞金王に輝いているが、昨シーズン、外国人選手として4人目、米国人としてはイシイに次ぐ2人目となるチャン・キムが賞金王に戴冠。幼少期にハワイに移住したチャン・キムはジュニア時代にイシイの指導を受けていたという。
※週刊ゴルフダイジェスト2022年12月13日号「ニッポンゴルフ初物語」より