米フロリダとキューバの中間に位置するバハマ、アルバニー(コース名)で開催された大会3日目、ホブランは10バーディを奪って「まるでクルーズコントロールが付いているみたい」といわれるほど快調なプレーでトーナメントをリードした。
最終日も上位争いを演じたシェフラーが9番パー5でダブルボギーを叩いたことで一時リードを5打まで広げた。しかし最近まで世界ランク1位だったシェフラーがバック9に入ると14番から3連続バーディを奪うなど猛然と追い上げ2打差に詰め寄ると最終18番パー4でホブランはペナルティエリアに打ち込みグリーンを捉えたのは4打目。ダブルボギーのピンチに陥ったが辛くも約6メートルのボギーパットを沈めて逃げ切った。
「すごく神経をすり減らしました。気を抜く暇はありませんでした。今日は良いプレーができなかったけれど、それでも勝つには十分でしたね」と苦笑いしたホブラン。
大会連覇は06年と07年にタイガーが達成して以来の快挙。右足の足底筋膜炎で直前に欠場を明らかにしたタイガーはこの日勝負服の赤いシャツで登場し虎を象ったトロフィーをホブランに渡すプレゼンターを務めた。
ところでノルウェー生まれのホブランがこれまでPGAツアーで優勝したのは南国ばかり。20年にプエルトリコ・オープンで初勝利を飾ると21年にはメキシコのリゾート地マヤコバ(マヤコバ・ゴルフ・クラシック)で勝ち2勝目。22年も同大会で連覇を飾り、バハマが舞台のヒーロー・ワールド・チャレンジで2年連続トロフィーを掲げた。
南国で勝ちを重ねるわけは本人も「わからない。ただコースとの相性が良いのだとしか思えない」。ノルウェー人として初のて全米アマにチャンピオン(18年)になり翌年のマスターズに出場。ローアマに輝くなどすべての実績に「ノルウェー人初」の形容詞がつく。
その経歴もユニークでエンジニアの父・ハラルドさんがアメリカで働いていたときにゴルフを覚え息子にクラブを与え手ほどき。ブラン11歳のときだったが一年の半分は雪と氷に閉ざされるノルウェーゆえ練習はほとんどインドアのみ。それでもすぐに上達し、リッキー・ファウラーの出身校オクラホマ州立大にスカウトされ留学。在学中にマスターズと全米オープンのローアマに輝いて、プロ入り後もあっという間にスターダムにのし上がったのはご存知の通り。
アメリカの大学に通っていたし英語は最初からペラペラなのかと思えるが実は「同じ映画を何度も見てそれで覚えた」という。テコンドーの心得もあり好きな音楽はメタル(メタリカなど)。穏やかな見た目とは違う一面も。
これで世界ランクは前週の12位から3つ上がって9位。ホブランが南国以外で勝つのはいつ?