2022年10月、秋が深まりつつある新君津ベルグリーンCCの練習グリーンにひとりの片腕のゴルファーがいた。陽も傾き、急に気温が下がっていくなか、黙々とパッティングの練習をしている。日本障害者オープンの初日を終え、この日のプレーに納得がいかなかったのか、日々のルーティンなのか。
「ああ、見られていましたか。今回の試合の結果を見ると、まったく役に立たない練習でしたけど(笑)。でも、いつもパーフェクトにゴルフをすることはできませんが、トライしたり、努力することくらいはできるんじゃないかと考えています」
初冬のような寒さとそぼ降る雨のなか、38・42の計80、4位で大会を終えた細身の男は穏やかに答えた。
彼の名はアレックス・フォーリー。ウクライナ生まれ、アメリカ育ちのプロゴルファーである。
「今年7月のアダプティブオープン(USGA主催・パインハースト№6)で、日本障害者ゴルフ協会の方に声をかけていただき、その言葉に感銘、フロリダでの全米規模の大会と重なっていましたが、それを断ってまで本大会参加を選びました。日本に来てみたいのもあったけれど、日本のやり方に共感できる部分があって。来てよかった。海外選手への対応もしっかりしていて非常に楽しかった」
彼の傾斜からでもブレない軸から繰り出される力強いショットは、見るものを魅了する。片腕だということが彼のスウィングの個性になっていると感じるほどだ。
彼は淡々とプレーする。今できることを行う。ゴルフに向き合う姿勢もブレない。生まれたアレックスは、両親がチェルノブイリ原発事故で被曝、右腕の欠損はそれが要因と考えられるという。孤児となり、1999年、7歳のとき、アメリカ人家庭に養子として受け入れられた。母、エリザベスさんは語る。
「皆さんの目には、右手がない障害だけに見えるかもしれませんが、アメリカに来た当初は23の障害があり、手術をしなければならなかった。生まれたときに唇のところに穴が開いていて歯が上手く生えず、その手術をはじめ、ひざの手術をしたり、アメリカに来て2カ月はゴルフクラブを握ることができるなんて想像もできませんでした」
ゴルフを始めたのは2000年。シングルハンディの腕前を持つ父、アントンさんのすすめだ。
「ゴルフは個人種目なのですすめました。もちろん片腕で打つということになるので、右打ちか左打ち、どちらにするかを決めなければならないし、どちら側に振るかでも力の伝え方が違う。何がいいのかを模索するところからはじまりました。そこまでは、僕が手伝って教えましたね」
最初はいろいろなスポーツをしていたという。
「ハンティングやフィッシング、サッカーなども。ゴルフは父とプレーすることもできるので、ハマりやすかったです」(アレックス)
上達にもっとも苦労したところは飛距離だ。
「最初は悩みました。両手で打つのとでは全然違う。今は力がついたからましになったかも……」
横から父が絶妙の間合いでフォローする。
「球を飛ばそうとするあまり、ショートゲームが難しくなってしまって。小さいショットでも片手で思い切り打ったりしていました」
技術が伸びたのは大学に入ってから。授業に行かずにゴルフ場に行っていたと笑う。
「でも1クラスだけですよ。時間が限られているなかで、日によってドライバーの時間にしたり、アイアンの時間にしたり、カテゴリー分けをしてゴルフに没頭していました」
2年前から障害者の大会にも出るようになった。今回が6回目の試合だという。
「試合ではもちろん勝つことを目標としていますけど、自分のゴルフがどのレベルにあるかということをまずは知りたい。ゴルフは旅のようなもので、自分がどこにいるのかというのをゲームのなかで理解することができるんです」
アレックスはPGAオブアメリカのティーチングプロの資格を持つ。取得した理由は人生の目標のためだ。
「アメリカのライセンスはシステムが違っていて、どちらかというとゴルフ場で働くための支配人ライセンス。でもこのライセンスがあることで、PGAツアーで出られる試合もあるんですよ。僕のゴルフ人生において、PGAのライセンスは必要なバックグラウンドです。自分のブランディングにもなりますし、ゴルフを生活の一部にしようと考えたとき、ほかの資格ではなくPGAのものがいいと考えました。それに、もう少し先の目標として、子どもにゴルフを教えたいと考えているんです」
今年、ロシアと戦争が続く祖国に対して、言葉では言い表せないくらい心を痛めている。戦争もさまざまな“壁”から起きる。
しかし、今自分ができることを行うブレないアレックスは、自分でデザインしたTシャツを使ったチャリティを実行している。
「僕自身が障害者なので、チャリティができると考えました。孤児がすごく多いらしいんです。ロシア人が誘拐して無理やりロシア国籍にするようなことをしていると。その子たちを守るために寄付金を集めて送金しています。孤児たちが周辺国であるポーランドなどに移住できるだけのお金を。けっこうな額になったんですよ。それで何十人、何百人と助けることができました」
神様は人間に、越えられる試練しか与えないという。アレックスの笑顔と真摯な言葉の数々は、我々にとっての鏡となる。
「彼はネバーギブアップ。私の誇りです。小さい頃にいろいろな障害を乗り越えなければならなかった。身体的障害はもちろん英語の習得だってそう。でも、どんな“壁”に対してもギブアップしたことはない。メンタル的にすごく強い息子です。こうして成長してくれたことが素晴らしいです」(母)「彼はヘルプピープル。ゴルフは彼のメッセージでもあります。ゴルフをしているときも、普段も、他の人と接しているときに感じるのが、どんな人間に対してでも、敬意を忘れずに話をすることに驚く。自分の子どもとして素晴らしいと思っています」(父)
釣りが趣味のアレックス。大きなマグロを釣り上げた写真を見せてくれた。この写真のなかのアレックスも穏やかに微笑んでいる。竿をキャスティングしてリールを巻くとき、肩と顎で固定しながら片手で行うのだという。
「巻いては戻して一度魚を逃し、また巻いては戻して、1、2時間かけてどんどん自分の近くに寄せてくる。ゴルフとも似ていて、良いショットを打っては、悪いショットを打って、行ったり来たりで、でも手繰り寄せていく感じです」
きっとこうして、確実に人生を歩んできたのだろう。
「小さい頃は走り回っていることが大好きで、サッカーも大好きだったんですけど、ゴルフを選んだ理由は、90歳になってもできると思うから。それに誰とでもできる。ゴルフ場に行って、知らない人との組み合わせが作られて回って18ホール終わった後にはもう、その方を見ることがないことも多くありますけど、そういうことも面白くないですか? なかなかほかに老若男女一緒にできるスポーツはないですしね」
国籍も性別も年齢も障害も関係なく、皆が緑のなかで溶け込む理想のゴルフ。アレックスはコースでその体現者となる。
ゴルフはアレックスにとってどのような存在かを聞くと、「ゴルフ・イズ・マイライフ」との答え。
「こうして育ててくれた両親には本当に感謝しています。ゴルフにも。ゴルフというのは良いショットもあれば悪いショットもある。とても浮き沈みの激しいスポーツ。それでメンタル的にもつらくなることもあります。悪いショットからの心の持ち直し方は僕の課題でもあります。そういえば、日本のプレーヤーは悪いショットを打ってもあまり怒ったりしないようにしているようで、それは素晴らしいですね。そういったところを今回学べました」
ゴルフ競技は今、パラリンピック入りを目指して動いている。
「実現してくれると、国の代表として出られる。障害者ゴルファーとして誇りですからぜひ代表になってプレーしたいです。でも、障害者はもちろん、健常者でも“壁”がある人たちは多くいますので、そういう人たちの励みになるように頑張りたい。健常者も障害者も関係なく、ゴルフ界を盛り上げることを使命にゴルフをプレーしています。自分の行動がゴルフ人口の増加などにつながればいいなと思っているんです」
ゴルフに関して、まったく飽きないと笑うアレックス。
「今からでももう一度プレーしたいくらい。日本の素晴らしいコースで自分の技術を試されましたが、そのテストに残念ながら合格できませんでした。7月にひざの手術をしたばかり。もう少し体の状態がいいときにまた来てチャレンジしたいと思います」
アレックスのブレない挑戦の旅は続く。
文/福島みのり 写真/増田保雄 協力/新君津ベルグリーンCC
※週刊ゴルフダイジェスト2022年12月27日号「ゴルフ・イズ・マイライフ~母国ウクライナへ思いを届ける片腕ゴルファー アレックス・フォーリー」より