今年の全米オープンの舞台は2013年にフィッツパトリックがイングランド勢として102年ぶりに全米アマを制覇したのと同じボストン郊外のザ・カントリークラブ。
「いい思い出が詰まっているので気分良く回れた」と終始上位争いを繰り広げるとサンデーバック9の13番では15メートルもあろうかという超ロングパットを沈めてバーディ。10番、11番と短いパットを外してボギーを叩いていただけに展開を一気に変える起死回生のバーディだった。すると普段は冷静でポーカーフェースの相棒フォスターが「自分でも驚くほど興奮した」と振り返る。
幾多のスター選手のバッグを担ぎ世界中で40近い勝利に貢献してきたフォスターだがメジャータイトルだけは遠かった。だからフィッツパトリックが13番に続き15番でもバーディを奪い1打差の勝利をもぎ取った瞬間、選手より先に泣き出した。キャップのつばで顔を隠し親子ほど年の離れたフィッツパトリックと熱い抱擁を交わす。つられてフィッツパトリックも瞳を潤ませた。
「ビリー(キャディ)にとってメジャーはすべて。それがわかっていたからこみ上げるものがあった」とフィッツパトリック。
9年前全米アマを制した頃の飛距離は270から280ヤードだった。全米オープンと全英オープンでローアマに輝いた経験はあるが「この飛距離ではプロの世界で通用しない」と痛感した。当時からショットの精度とパッティングには定評があったが「一番上まで行きたかったらもっと飛ばさないとダメだ」とトレーニングに励み飛距離アップを図ってきた。
しかし20年の全米オープンで圧倒的飛距離でコースをねじ伏せたブライソン・デシャンボーのような選手が出現すると「飛ぶようになっても彼には50ヤード置いていかれる」とショックを受けた。それでもフィッツパトリックは心折れることなくたゆまぬ努力を続けてきた。
フォスターキャディによると21年から22年にかけトレーニングとスウィング改造で「25ヤード飛ぶようになった」。大会の予選ラウンドで飛ばし屋DJことダスティン・ジョンソンと同組で回ったが「たまにマシューがDJをアウトドライブする場面もあった。逞しくなったもんだと驚いた」とフォスター。相性が良いコースだったから勝ったのではなく、本人の努力がメジャーという最高の舞台で結実したのだ。
奇しくも最終日は父の日。会場に応援に駆けつけた父・ラッセルさんは「トニー・ジャクリン(イングランド勢初の全米オープン覇者)を見てゴルフを始めた」という人物。「我が息子がここで勝つとは」と誇らしげに息子の勇姿を見つめ感無量の表情を浮かべた。
飛距離という新しい武器を手にしたフィッツパトリックは来るべき2023年、さらなる飛躍を遂げるに違いない。