東北地方のゴルフ場の歴史は、戦前の1935年、宮城県の松島湾を望む高台に赤星四郎が設計した6ホールの仙臺(せんだい)カントリー倶楽部から始まった。44年には戦況の悪化に伴い解散するが、戦後、接収した米軍がレクリエーション施設としてコースを整備し、東北初の9ホールのコースとなる。そして52年の接収解除により、仙塩GC浦霞コースとして新たなスタートを切った。
それから5年後、約250キロ北の青森県八戸市に建つ明治時代の歴史的建造物である「更上閣」のわきに4打席の室内練習場が新設される。ここに入会金2000円、年会費500円で会員63名が集まり、「八戸ゴルフ倶楽部」が発足した。翌年からは近くの浜辺を漁業組合から借り、400ヤード、115ヤード、150ヤードの3ホールのコースを造って楽しむが、3年後には馬淵川の河口近くの河川敷に6ホールのコースをオープン。翌61年には9ホール・2355ヤード・パー34に増設、63年にはクラブハウスも完成した。75年には9ホール増設して18ホールになったが、2004年に馬淵川に架かる沼館大橋建設のため12ホールに縮小。06年からは9ホールで営業している。
河口に近い河川敷コースの宿命として、度々水害に悩まされてきた八戸GC。台風や大雨、高潮の影響だけでなく、1968年の十勝沖地震と2011年の東日本大震災では津波による甚大な被害も受けてきた。ここ数年は温暖化の影響なのか、毎年のように冠水している。だが、そのたびにメンバーはコース再建に尽力してきた。東日本大震災では、4.6メートルを超える大津波が押し寄せ、コースが土砂や漂流物で埋め尽くされたが、会員たちの作業により、わずか2カ月で復活を遂げた。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年2月7日号「ニッポンゴルフ初物語」より