1982年にカーボングラファイトとパーシモンを一体化したゴルフクラブ、「カーボネックス」を発売しゴルフ界に参入したヨネックス。翌年には世界初のカーボンアイアンを発売し、「9番アイアンで150メートル飛ぶ」という使用プロのひと言で人気に火が付く。
91年には全米のカーボンヘッドクラブ市場で半数近くのシェアを占めるまでになり、92年にはフィル・ミケルソンと契約。そして翌年6月に登場したのが、カーボングラファイトのボディにチタンフェースを組み合わせた「チタンカーボン」だった。
当時の一般的なメタルウッドに比べ、重心位置を低く、深くした低重心高弾道設計。反発特性に優れたカーボンボディと純チタンのフェースを世界で初めてコンポジット。一体成形することで、カーボンが弾き、チタンフェースがスピン量をコントロール。ヘッドだけでなく、ボロンで強化した軽量シャフトを合わせることで、軽々と振り抜けるとともに、しぶとい粘りを実現した。
このドライバーを手にした「ヨネックス飛ばし屋軍団」が来日すると、全国各地でデモンストレーションを行い、400ヤードドライブを披露して日本のゴルファーを驚嘆させる。さらに飛びすぎてカメラのレンズを割るというテレビCMも話題になり、一大ブームを巻き起こした。
翌94年には当時250〜260ccだったヘッド体積を大幅に上回る大型300ccヘッドの「チタンカーボン300」も発売。慣性モーメントが大きくなり、スイートスポットも拡大。芯を外しても飛距離、方向性への影響は少なく、さらに真っすぐ飛ばせるようになる。このモデルは海外でも「Super A.D.X」ドライバーとして人気となった。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年2月14日号「ニッポンゴルフ初物語」より