金谷拓実が海外で初優勝したアジアンツアー(ASIAN TOUR)。PGAでもLIVでもない同ツアーの歴史をたどってみよう。
画像: アジアンツアーの「インターナショナルシリーズ・オマーン」で海外ツアー初優勝の金谷拓実(撮影/小林司・22年12月)

アジアンツアーの「インターナショナルシリーズ・オマーン」で海外ツアー初優勝の金谷拓実(撮影/小林司・22年12月)

アジアのゴルフツアーは50年代に始まった「アジアサーキット」に端を発する。

日本のツアーシーズン前にアジア各国を巡り、最終戦が日本ツアーの開幕戦という日程。各国のナショナルオープンを兼ねて、上位者は日本ツアーの出場資格を得る仕掛けだった。

これを統括していたのがAPGC(アジア太平洋ゴルフ連盟)で、メンバーは各国のゴルフ協会。

同ツアーが活発化するにしたがって、母国での出場権がない欧米選手たちが“渡り鳥"として押し寄せるようになった。

ここを基点にPGAツアーの足掛かりをつくったわけだ。

この結果、「自分たちのナショナルオープンに自国の選手が出られなくなる」との不満からAPGA(アジアプロゴルフツアー)が発足。

同ツアーは賞金総額を増やし、90年代半ばからAPGCの試合を取り込んだ。

しかしAPGAはスポンサーの力が強くなり、運営にまで口を出す始末。それならば「プロだけで独立した組織を」と、03年に旗揚げされたのがアジアンツアーだった。

こうして同ツアーは世界の主要なツアーが集まる「プロゴルフツアー国際連盟」の正式メンバーになった。

しかしまた波乱が。APGAをサポートしてきたプロモーターたちが中国、韓国、豪州などを取り込み、アジアンツアーと決別する形で06年、「ワンアジア」を立ち上げたのだ。

両ツアーは片方に出場したら罰金、出場停止などといがみ合ったが、現在ワンアジアは活動を停止している。これで落ち着いたと思いきや、さらなる転機が訪れる。

コロナ禍の移動制限により試合数が激減した同ツアーに対し、22年2月にLIVゴルフが約350億円を投資することが決まったのだ。

CEOであるグレッグ・ノーマンは両ツアーの戦略的提携をうたい、

「今後10年間、『インターナショナルシリーズ』と呼ばれる10大会をツアー日程に組み込んで開催する」と表明。

同シリーズの上位選手はLIVゴルフへの出場資格が与えられることとなった。

「これによってアジアンツアーの上位者はLIVに“昇格"できることとなり、一方で世界ランクのポイントを稼げないLIVゴルファーたちはポイント稼ぎのため同ツアーに出場するようになり、いわば『LIVの2部ツアー』の様相を呈しています。

PGAとLIVの確執に巻き込まれるのでは? という声も耳にしますが、選手にとっては活躍の機会が増えることは望ましいことですし、アジアンツアーの規模が大きくなることは良いことだと思います」

とはゴルフ解説者のタケ小山氏。

変遷を重ねてきたアジアンツアーの“その先”が気になるところだ。

※週刊ゴルフダイジェスト2023年2月28日号「バック9」より

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