世界的な釣り具メーカーとして知られるダイワ精工。ゴルフでは2002年から「オノフ」ブランドを展開。2009年の創業50周年を機に社名を「グローブライド」に変更している

1958年に大和精工として創業したダイワ精工。62年からリールの国内販売を開始し、現在では釣り具の総合メーカーとして世界シェア1位を誇っている。ゴルフ用品の販売を開始したのは72年。

81年9月にはアメリカに進出。ドラコン選手が使用して圧倒的な飛距離を叩き出したことから全米中に知れ渡ることとなる。

そして若き日のラリー・マイズと契約し、83年には彼の初優勝をダイワのクラブが手助けした。89年から93年までは国内男子ツアー「ダイワKBCオーガスタ」の冠スポンサーを務め、94年には八ヶ岳や南アルプスの山々を望む標高800メートルの高原にダイワヴィンテージGCが開場。ダイワが初めて手掛けるコースとあって、開場前から話題となった。

 同じ年の11月にダイワが発売したのがヘッドサイズが選べるドライバー「バリスティック」。230 cc、250cc、270 ccの3タイプのヘッドサイズが選べる世界初のドライバーだった。

素材にはアルミニウムと同等の比重ながら、チタン合金よりも硬度が高いという超硬質「メタライズドアロイ」を採用。ボールの弾きがよく、爽快な打感と打音を実現。シャフトは44インチと当時にしては長尺。

また、ヘッド体積は違うものの、3モデルとも重心深度を同じ深さに設計することで、どのヘッドサイズを選んでも同じ飛距離性能とやさしさを併せ持つという画期的なクラブだった。

ダイワヴィンテージGCでは95年にダイワインターナショナルを開催し、当時25歳だったフィル・ミケルソンが日本ツアー初参戦。8年前にはISPSハンダグローバルカップの舞台となり、イアン・ポールターやジェイソン・ダフナー、シャール・シュワーツェルが参戦した。

ダイワ精工が100%出資して造ったダイワヴィンテージGC。2004年にゴルフ場事業から撤退したことで、06年にヴィンテージGCに。16年からはシャトレーゼグループのコースとなり、現在はシャトレーゼ ヴィンテージGCとなっている。

画像: 3タイプのヘッドサイズをラインナップしたダイワ精工の「バリスティック」ドライバー(写真は1994年の広告から)

3タイプのヘッドサイズをラインナップしたダイワ精工の「バリスティック」ドライバー(写真は1994年の広告から)

※週刊ゴルフダイジェスト2023年2月28日号「ニッポンゴルフ初物語」より

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