世界中で世界中で活躍する「パク・セリキッズ」たち。今秋の引退を表明したイ・ボミも、開幕戦で優勝した申ジエもそうだ。そのなかで、すでに第二の人生を歩んでいるキム・ハヌルとチェ・ナヨン。日本、アメリカで輝かしい実績を残した2人の「今」を聞くため、ソウルを訪ねた。
画像: 11、12年には韓国ツアーで賞金女王、15年日本ツアーに参戦し通算6勝(メジャー2勝)を挙げたキム・ハヌルと08年から米ツアーに参戦し通算9勝(12年全米女子オープン優勝)、10年には賞金女王に輝いたチェ・ナヨン

11、12年には韓国ツアーで賞金女王、15年日本ツアーに参戦し通算6勝(メジャー2勝)を挙げたキム・ハヌルと08年から米ツアーに参戦し通算9勝(12年全米女子オープン優勝)、10年には賞金女王に輝いたチェ・ナヨン

ハヌル ナヨンア!

ナヨン ハヌルア!

ハヌル オレガンマニダ(久しぶり)!

ナヨン 何言ってんの(笑)。3日前に会ったばかりじゃない。

ハヌル そうだっけ? 最近忙しくて。2日に一度はお互いに連絡を取っているのに、わからなくなってしまったみたい(笑)。

ナヨン 「ボディ・プロフィール(体を引き締めたあと、その姿を写真に収める。韓国で大流行)」のスケジュールと本格的な筋肉作りが始まったよね。体調はどう?

ハヌル いいわよ~。ナヨンの作った計画だと、100日間に私が7キロ、あなたは9キロの減量が目標だから、運動と食事管理が大変だけれどね。

ナヨン 大変よね。でも私は2年前に一度チャレンジした経験があるから、トレーナーの指導で、ウェイトトレーニングや食事管理をきちんとすれば目標達成はできる。

ハヌル 1日3食、鶏肉とサラダ、それに軽い主食だけ。

ナヨン 1週間に1食だけ、好きなものを思い切り食べてよいことになっているんだよね。

ハヌル 私は甘いものに目がないの。日本ツアーに参加した当時、日本のスイーツやお菓子がおいしくて、ついついコンビニでお団子とかチョコレートを食べすぎて、すぐに体重が3キロ増えてしまったなんていう失敗もしたしね。

ナヨン それを我慢してこそ今回のプロジェクトが成功するんだから、お互いに頑張りましょう。

ハヌル 5月末、一緒にボディ・プロフィールを公開する計画だからね。体を絞るためのストレッチとか、あー、忙しい。

ナヨン 昔、“ヨン様”ことペ・ヨンジュンさんが体作りのためにロサンゼルスに渡って、3カ月間、集中的に食事管理とウェイトトレーングをして、鍛え上げた体をファンのために見せたことがあるけど、今回の計画はあくまでも自分自身の記録を残すためだということを言い聞かせないとね。

ハヌル はい、はい。わかりました(笑)。でも日本で食べたみたらし団子のことは今でも思い出す。韓国にはない味だから。

ナヨン 目標を達成したら、一緒に日本に行って食べましょう。私も日本料理は大好き。実は昨年末、サッカーのワールドカップがカタールで開催されている時期に、プライベートで日本に3泊4日のスケジュールで行ったんだけど、そのとき食べたカレーうどんがとてもおいしかった。お寿司とかすき焼きはもちろんだけど、偶然入った小さな食堂で食べたので、思いがけない日本の味を発見した気がした。

ハヌル そう。日本ではどこへ行ってもおいしい料理と巡り合えるから。私が日本ツアーに参戦していた7年間に知り合った多くのファンや友人とは今でも連絡し合っているのよ。今年5月頃、韓国に来たいと連絡があったし。

ナヨン 私たち、引退後もお互いに忙しいのはよいことだね。

ハヌル 本当に。私は引退後、テレビなどでレッスン解説や芸能プログラムに出演する活動を続けているから、充実していると思う。昨年12月、一緒にテレビ局の企画でタイに旅行したときも楽しかったね。

ナヨン 本当に楽しかった。コロナも収まりかけた頃だったし、モデルを案内しながら、一緒にゴルフを楽しんだり、タイ料理を楽しんだり、古い寺院に入ったり。タイ料理は意外とカロリーが低い食事も多いし、私の好きな料理のひとつになった。

ハヌル 今年1月には一緒にソウル郊外のスキー場にも行ったしね。

ナヨン 現役時代には事故が怖くて、スキー場には一度も行けなかったから。引退後できること。朝寝坊、飲酒、スキーetc.

ハヌル ナヨンは、引退して一番よかったことは何?

ナヨン 一番は早朝4時、5時に早起きしなくてすむようになったことかな。それから、夜も友達とお酒を楽しむ時間ができたこと。私はお酒が好きだから。最近はウイスキーに凝っているんだよ。でも今は禁酒中。

ハヌル ナヨンはお酒が好きだよね。私はお酒は苦手なほう。外見から見ると、お酒が強そうに見えるけど、全然ダメ。

ナヨン でも、引退したことに後悔したことはなかった。

ハヌル その点は同じ。絶対に。

画像: お酒が苦手なハヌルと酒好きなナヨンが、ツアーの思い出を語り合った

お酒が苦手なハヌルと酒好きなナヨンが、ツアーの思い出を語り合った

ナヨン 米ツアーで最後の5年は優勝もできず、マスコミからはスランプと言われ、ある試合で「85」の大叩きをしたときにはホテルに戻ってクラブを叩いて壊したこともあった。大泣きしたこともあったことを思い出すな。そんなときに「引退」の文字が頭に浮かんだりして。

引退を考え始めたのは21年頃から。22年6月のマイヤーLPGAクラシックを機会に引退しようかと思って出場したけど、18位タイというまあまあの成績を上げて、まだまだやれそうだと思って引退の文字を封印したこともあったんだよ。

ハヌル 私の場合は、コロナ禍が20年2月から日本と韓国でも始まって、試合そのものが中止になってしまいどうしたらよいのかわからなくなった。それまでは6週試合に出て、1週間は韓国に戻って英気を養ってから日本に戻る、といったルーティンがあったけど、コロナでそんなわがままなスケジュールができなくなって。

日本から韓国に戻っても2週間の隔離生活があるし、韓国から日本に戻ろうとしても同じように2週間の隔離生活。往復すると4週間の隔離生活を余儀なくされるから、無駄な時間が過ぎていった感じだった。

ナヨン そうだね。私も21年にアメリカでコロナにかかり、隔離生活を経験したじゃない。初日のラウンド後に体調が悪くなり、すぐにPCR検査を受けて陽性が判明したときには本当にショックで。ちょうど、スランプの時期と重なっていたから、ゴルフをやるモチベーションが下がってしまった。

ハヌル でも私たちはお互いに全力を尽くしてゴルフ人生を生きてきたという自負があるから、後悔なく引退できたじゃない。7年間、日本ツアーで生活して、楽しい思い出ばかり。ひとつだけ怖い思い出があるとすれば、16年4月の熊本大地震の経験。

今でも忘れられない4月14日夜9時すぎのこと。15日から17日までKKTバンテリンレディスオープン(熊本空港CC)が予定されていて、翌日のために早めに部屋で休んでいたときだった。何が起きたのかわからなくて、揺れが収まったあと、あわててホテルの外に逃げた思い出がある。あれほど怖い経験はなかった。ホテルの外でほかの選手を見つけて思わず泣いてしまった。

ナヨン ハヌルも大変な経験をしたんだね。日本ツアーではほかに思い出がある?

ハヌル 私はアイアンが得意だったけど、パットのミスで優勝を逃したこともあったからパットが上手ければもっと優勝できたと思う。それ以外は楽しい思い出ばかり。ファンの人々も義理堅くて。毎週のように試合会場に来てくれる人々がいて、「この人たちは仕事をしていないのかしら」なんて思ったこともある。あとで聞くと、もう定年退職していて(笑)。

日本での引退試合は21年10月のNOBUTAマスターズだったけど、あのときは上田桃子選手や笠りつ子選手、有村智恵選手などたくさんの日本人選手が私のために泣いてくれたことが忘れられない。

ナヨン アメリカは土地が広くて、時差が東海岸と西海岸で4時間あるでしょう。試合に駆けつけてくれるのは地元のファンがほとんどだから日本とは事情が少し違うかな。私も米ツアー前半はフロリダ州オーランドに自宅を買ったけど、後半はラスベガスに引っ越しをした。今でもラスベガスに自宅があるけど、近いうち、一度米国に戻り、自宅を整理するという仕事が残っている。

ハヌル でもナヨンは米ツアーで頑張ったよね。英語も上手になったし。マネジャーとは別に英語の個人教師を雇ってツアーに同行させた時期もあったでしょう。

ナヨン 米ツアーで戦うには何よりも英語をマスターしなければダメだと思った。英語が上手になればツアー生活も充実するし、ゴルフも上手くなったと思えるようになった。米ツアー参戦数年後、英語の家庭教師を雇ってツアーに同行してもらい、移動や食事などのときにも英語で話すようにしたり、教えてもらうようにして過ごした。2年間も続いたんだよ。優勝インタビューのやり方とかもね。通訳を通すのと全然違うから。

ハヌル 私は日本ツアーではホテル暮らしが中心だったから、テレビやNETFLIXなどで日本語を勉強していた。アン・ソンジュはテレビで「名探偵コナン」を見て日本語を勉強したなんて言ってたけど。

マスコミが私のことを、「スマイルクイーン」と紹介してくれたおかげで、ファンもクラブハウス前などで「ハヌルちゃん」と気楽に声をかけてくれるし。ホールを移るときに小さな子どもを見つけて、キャンディをプレゼントすると、とても喜んでくれた思い出もあるなあ。(後編へ続く)

TEXT/Masaki Tachikawa PHOTO/Tadashi Anezaki

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