2月のインターナショナルシリーズオマーンで、海外初優勝を挙げた金谷(拓実)くん。アジアンツアーとはいえ、セルヒオ・ガルシア、ホアキン・ニーマン、ブルックス・ケプカら強豪を抑え、また7400ヤード超の強風吹き荒れるコースでの優勝です。これをきっかけにひと山越えたと感じるのは、ボクだけではないでしょう。
Takumi Kanaya の名前は、ボクたち日本人が想像する以上に世界のゴルフ界では知れ渡り、また大きな期待が寄せられています。
アマチュア時代からの実績は今さら説明する必要もありません。18年にアジアパシフィックアマで優勝。その資格で出場した翌年のマスターズでは、見事に予選通過を果たしました。
さらに同年、松山(英樹)くんに続き、日本人としては2人目となる世界アマチュアランク1位に。アマチュアゴルフ最高の栄誉である、マコーマックメダルも獲得しています。
さらに続いて11月には、三井住友VISAで史上4人目のアマチュア優勝とその活躍ぶりは枚挙に暇いとまがありません。
ただ、海外志向の金谷くんが世界の、特にPGAツアーの厚い壁には跳ね返され続けてきたという印象は拭えませんでた。
20年10月のプロ転向後、11月のダンロップフェニックス、4月の国内開幕戦の東建カップで立て続けに優勝しますが、「日本では勝てても…」という声も聞こえていたはずです。
昨年は3月のマッチプレーでは上位に入ったものの、他に出場したPGAの6試合はすべて予選落ち。さらに6月からの欧州ツアーも、全英オープンを含む4試合連続予選落ちというものでした。
想像ですが、非常に真面目な性格の金谷くんだけに、自分で自分を責める時間も長かったように思います。ストイックなだけにもがき苦しみ、また早く結果を出そうと急いでいたようにも映りました。
先輩の松山くんにも「飛距離がほしい」と言っていたとおり、飛距離を求めて努力や練習を続けているのもすごく見えていました。
そんな金谷くんにとって転機となったのは、PGAのコーンフェリーツアーの入れ替え戦ではなく、あえてDPツアー(欧州ツアー)のQスクールを1次から受けたことのように思います。ここを1位で突破すると、2次も順調に上位で通過。
ファイナルは35位タイに終わりましたが、日本で立て直すという選択もあるなか、あえて世界の壁をぶち破るんだという覚悟のようなものを感じたものです。
元世界アマランク1位の肩書は、ボクたちの想像以上に大きなプレッシャーでしょう。他の経験者がすぐにPGAで結果を残しているのを見ているとなおさらです。ここ2年ほどの金谷くんにとって、その肩書が少し邪魔をしていたようにも感じました。
優勝インタビューでの「この2年くらいは非常に苦しかった」は、正直な胸のうちでしょう。
それでも世界で戦う覚悟を決して捨てなかった。いずれにしても海外で勝ったことで、大きく一歩前に踏み出したことは間違いありません。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年4月4日号「うの目 たかの目 さとうの目」より