ティーチングの道を目指し、片山晋呉のキャディで経験を積んだ
O編 わきゅう、ティーチング始めて何年になったの?
坂詰 2004年からだから、19年目ですね。
O編 そうかぁ。あっという間だね。わきゅうに初めて会ったのは20年以上前だと思うけど、その頃は、片山(晋呉)プロのキャディやってたもんね。最初は、プロキャディを目指してるんだと思ったよ。
坂詰 あるとき、江連(忠)さんに、プロコーチを目指したいという話をしたんです。そうしたら、勉強になるから片山プロのキャディをやりなさいって言われて。トーナメントの現場はどんなものなのか、どんなことが起こるのか、そのなかで選手はどんなことを考えるのか。それを近くで見てくるといいよって。
O編 江連コーチとの出会いが先だったの?
坂詰 いえ。出会ったのは片山プロが先です。そのとき、江連さんが片山プロのコーチをしていたんです。
O編 それは、いつの話?
坂詰 98年ですね。当時、ボクは群馬県で研修生をやってまして。その年の7月に、白水GCでフィランスロピートーナメントが開催されて、キャディのバイトをすることになったんです。そこで、たまたま片山プロに付いたんですよ。
O編 その頃はプレーヤーを目指してたんだね。
坂詰 いやぁ、我ながら世間知らずでしたね。何もわかっていないくせに、自分はツアープロになれると信じてましたから。でも、片山プロのバッグを担いだとき、これは無理だなって思い知らされたんです。
O編 というと?
坂詰 その試合は丸山茂樹プロが勝ったんですが、川岸良兼プロや高見和宏プロがバリバリにやってて。その体の大きさや、打ってる球を見たら、自分なんかが戦うのは厳しいと感じちゃったんです……。
O編 打ちのめされたのね。
坂詰 へこみましたねぇ。で、悩んで、でも、ゴルフから離れる気にはなれなくて、漠然とティーチングの道に進んでみようかって考えるようになったんです。
そんなとき、片山プロから連絡が来て、「8月のサンコーグランドサマー(群馬)で、またキャディをやってくれないか」って言われまして。そこで江連さんに会ったので、なんとなく相談したというわけです。
O編 ってことは、その頃はまだプロコーチとしてやっていくぞという絶対的な覚悟みたいなものはなかったのかな?
坂詰 ホント、漠然とティーチングの道に進めたらいいかなぁという感じだったと思います。とにかく、そんなこんなで片山プロのキャディをやることになったんですよ。
O編98年のサンコーって、片山プロがプロ入り初勝利を挙げた試合でしょ。バッグを担いで2試合目で優勝したのか。もしかすると、そういう相性のよさとか、運のよさも見込まれたのかもしれないね。で、キャディは何年やったんだっけ?
坂詰 98年の後半と、01~03年だから3年半ですね。プロコーチになったのは、その後です。
O編 勉強になった?
坂詰 もちろんです。あの経験がなかったら今の自分はないですね。
キャディの経験がプロコーチの土台になっている
O編 いちばん勉強になったのは、どんなところ?
坂詰 何といっても、江連さんが片山プロを教えているところを間近で見られたのは大きかったですね。江連さんの教えが、ボクのティーチングのベースにあることは間違いないです。
O編 ほかには?
坂詰 キャディをやっていると、試合のなかで、選手がどういう心理状態になるのか。どんなときにどんなミスをしやすいのか。さまざまな状況が、技術にどんな影響を与えるのか。試合に勝つときはどんな流れなのか。逆に、試合を失うときには、どんなことが起こっているのか。
そういうことが、理屈じゃなくて、肌で感じられるわけです。それは、スウィングの勉強をしているだけでは絶対にわからない、かけがえのない経験でした。その経験が、ボクのティーチングの大きな土台になっているんですよ。
O編 プロコーチって、ただ単にスウィングを教えるだけじゃなくて、その選手が試合のなかでどうなるかを知って、問題を解決し、よりよいスコアで回れるように導いていくのが仕事だもんね。そのための、データが収集できたわけだね。
坂詰 ボクはときどき自分のことを、「プロコーチというより、プロキャディだから」って言うんです。もちろん、技術は大切だし、そのための勉強もしてきましたけど、ボクのティーチングの根っこには、プロキャディとしての経験や知識が大きく影響しているんですよ。