周囲に天才ジュニアがたくさんいた少年時代
佐藤 いきなりやけど、僕、まだ源蔵(隆光の旧名)と一緒にメシを食いに行ったことないよね。何度も行こうと言ってはくれてたけど、「行こ行こ詐欺」やん(笑)。
時松 そういえば(笑)。昨年11月のダンロップフェニックスのときに、「コロナも落ち着いたから、同級生みんなでメシ食うか」って、それも実現してないしね。
杉山(知靖)とか、浅地(洋佑)とか選手だけじゃなく、キャディにも同級生が多いから。
佐藤 杉山とは水戸の店でばったり会ったよ。僕が店を出たとき、杉山が来て、「じゃ、飲み直そう!」って言われたけど断った(笑)。だって僕はアルコールアレルギーだし、そんな飲めんから。
時松 大平、最初に会ったときのこと、覚えてる?
佐藤 忘れられるわけないやろ。
源蔵、歯に矯正をしていて、ニコッと笑ったら、それがレインボーカラーで(笑)。
時松 歯科医の先生に、何色にするか聞かれて、「何色でもいいです」って答えたら、レインボーにされちゃった(笑)。
佐藤 僕らが小学生の頃って、周囲に天才ゴルフ少年みたいなヤツ、いっぱいおったやん。浅地とか、川村(昌弘)とか、「68」で回りますという感じ。彼らとは毎回全国大会で顔を合わせていたけど、いきなりポツンと九州の大会を優勝したヤツが来た。初日「71」で回って、「誰、アイツ」ってみんなに注目されて、ニコッと笑ったら、レインボー! 強烈すぎだわ(笑)。
時松 僕は九州の大会ならそこそこ活躍できたけど、大平とか川村とかを見ると、やっぱり全国はすごいなと、レベルの差を感じたよね。森杉(大地)なんて、270ヤード飛ばす小学生がいるのかとビックリした。
佐藤 森杉はバケモンだった。それに比べて源蔵のプレーは記憶にない、レインボーが強烈すぎて(笑)。源蔵と急速に仲良くなったのは、トヨタカップ(ジュニアワールドカップ)で浅地と(出水田)大二郎と同じチームになったときだよね。
時松 あの大会、4人1組で、上位3人の好成績だけが採用されるシステムだったよね。4番目だと切り捨てられて、カウントされない。4日間のうち、初日は僕が4番目で、「ちゃんとやれ!」と指導者に言われて、2日目にホールインワンして、「63」が出た。「よし、大貢献できた」と安堵していたら、3日目も、最終日も、4番目(笑)。大平は毎日60台で、団体優勝に欠かせない選手だったね。
佐藤 浅地は個人でも優勝して、みんなでコースの池に飛び込んだよね。臭かった(笑)。
アメリカへ行くか東北福祉大へ進学するか迷った
時松 あの修学旅行みたいな大会を機に、みんな仲よくて。友だちだし、ライバルだし。
佐藤 だけど正直に言うと、僕はみんなとの壁を感じていたよ。僕は大学へ行ったけど、浅地なんか高校を卒業したらいきなりプロの世界へ飛び込んだし、源蔵もそうだし。
時松 僕も悩んだよ。大学へ行くべきか、プロとしてやれるのか。大学からは推薦枠をもらっていたし、一方では浅地がQTに通過して焦りもあったし。そんなときに思ったのは、どうせプロとしてやっていきたいなら、先にプロの洗礼を浴びてしまおうと。大平は、どうして大学を選んだの?
佐藤 高校時代にアメリカの試合で優勝して、アメリカの大学へ推薦で入る道もあった。僕は即プロか、大学進学かで悩んだんではなく、アメリカか、東北福祉大かで悩んで、結果的に松山英樹さんを選んだ(笑)。
時松 どんな進路が正解かなんて、あとになってみなければわからないけど、松山さんを選んだ大平は、間違いなくいい選択をしたよね。
佐藤 そう思ってる。松山さんは、いつでも僕のことを気にかけてくれて、久しぶりに会うと毎回、「へたくそ!」から始まるんだけどね。
時松 そういう先輩がいるのは、大学進学を選んだ大平の強みだよ。僕が初めてPGAツアーに出たブリヂストン招待の練習ラウンドで、松山さんがご一緒してくださって。黙々とプレーされるのかなと思っていたら、たくさんアドバイスいただいて。超一流って、優しいなって。
佐藤 一見すると無愛想なんだけど、意外と優しいんだよね。あっ「意外と」なんて。これを読まれていたら怒られる(笑)。本当に優しくて、コロナ前まではいつも一緒にアメリカで合宿させてくれてたんだよ。
時松 松山さんと一緒だと、本当に吐くまでトレーニングするの?
佐藤 もちろん! 吐かなかったことがないから(笑)。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年4月18日号「時松プロ ご指名プロと技トーク わかったなんて言えません」より