2004年、デビュー戦からわずか7試合でシード権を獲得
前年の再春館レディースでは、まだアマチュアだった横峯さくら。ところが最終ホールでバーディを奪うとトップに並び、5年連続賞金女王の不動裕理、そして高又順との18番パー5でのプレーオフにもつれこんだ。
だが2ホール目、先に2メートルのバーディパットを決めた不動のプレッシャーからか、横峯は2オンに成功したものの痛恨の3パット。アマチュア優勝とはならなかった。
その年の8月に行われたプロテストに一発合格した横峯さくら。9月のデビュー戦から4戦連続トップ10入りし、10月のステップ・アップ・ツアーでは優勝するなど、出場わずか7試合でシード権を獲得。翌2005年1月にはハワイで行われたパールオープンに参戦し、並み居る男子を抑えて17位に入っていた。
前年と前週の雪辱を果たし、初優勝!
そして迎えた新シーズン。開幕2戦目のスタジオアリス女子オープンでは2日目まで首位に立ちながらも最終日に崩れ3位タイと初優勝を逃していた。
その翌週に行われたのが大会名も新たになったライフカードレディスだった。前年のリベンジに燃え、また、前週の雪辱を果たすべく挑んだ横峯さくらは、父・良郎さんをキャディに起用。
初日1オーバー14位タイとまずまずのスタートを切ると、2日目には首位に浮上。最終日は我慢のゴルフが続くが、17番でバーディを奪うと先にトップでホールアウトしたジュリー呂に追い付く。
2年連続のプレーオフかと思われたが、最終18番パー5では果敢に2オンを狙う。惜しくも乗らなかったが、アプローチを1メートルに寄せてバーディ。劇的な幕切れでツアー初優勝を飾った。
優勝が決まった瞬間、涙が止まらなかった横峯だが、アテスト後、宮里藍に「おめでとう」と祝福されると、再び涙が止まらなくなった。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年4月25日号「ニッポンゴルフ初物語」より