「ドライバーとパターの2本で100を切った」(比嘉一貴・28歳)
小学校3年のころ、学校が振り替え休日で家にいたら父に「家にいるならついて来い」と言われ、米軍専用だった泡瀬ゴルフ場へ。見学するだけのはずが、組に1人欠員が出たので、急きょ2番から参加。父のドライバーで打ったら、空振りもせず飛んで……。
この1打目の瞬間「プロゴルファーになりたい」と思い、その日の晩に両親の前で「なります」と宣言しました。スコアのつけ方もわかっておらず、クラブはドライバーとパターの2本しか使っていませんが、父によると100は切っていたそうです。
「スコア108で“煩悩ゴルフ人生”が始まった」(タケ小山・58歳)
初ラウンドは高校2年の夏。親父がメンバーだった廣済堂埼玉GC(現ナショナルCC)に連れて行ってもらいました。で、スコアは「108」。その時から“煩悩のゴルフ人生”は始まったわけですよ(笑)。それまでずっとやっていたテニスをやめ、ゴルフに乗り換えて練習場には行っていたので、なんとか形にはなりました。
アイアンで芝を傷めてはいけないと思っていましたから、最初はトップばかり。ハーフを終えて「芝を取ってもいいいんだよ」と教えてもらってからは、結構いい球を打てるようになったことを覚えています。それ以後、108以上打ったことはないですね。
高校3年の春、初めて東日本ジュニア(一宮CC)に出場した時も、初日、強風のなかで105でしたから。2日目は95でした。ちなみに、そのときの優勝は同級生の米山剛。2日間で144だったから僕とは56ストロークの差がありました。「ああ、僕はプロゴルファーにはなれないな……」と、挫折感を味わった最初の瞬間でもありましたね。
「父親のラウンドの"人数合わせ"で初ゴルフ」(水巻善典・64歳)
高校のとき父親に連れられてゴルフ場に行ったことがあって、それが初ラウンドだと思います。確か栃木県にある広陵CCだったと思うんですが、詳細は覚えていません。というのも、高校時代はバスケットに夢中でゴルフは眼中になかったんです。
父親も息子にゴルフをやらせようというより、人数合わせですよ。そのころは最低3人揃わないと回らわせなかったですから。ティーインググラウンドからクラブを2、3本持って「走れ、走れ!」と言われたことは覚えています。ただスコアは、120は叩いていないと思います。
中学時代は軟式テニスをやっていたので、ヘッドとボールのコンタクトは自然にできて、初ラウンドからこのかた空振りしたことがないんですよ。法政大学に入ってゴルフ部に勧誘され「ゴルフはスタートはみんな同じだろうから」と入部。
大学ゴルフ部での初ラウンドは新千葉か栗橋国際のどちらかです。その2つのコースでキャディのアルバイトをしながら合宿していたので。1年生のときは100打っていましたが、2年になると80台で回れるようになり、8人のレギュラー枠に入ることができました。
「父親に1打勝てたのがうれしかった」(高橋勝成・72歳)
初ラウンドのことは昨日のことのようにはっきりと覚えています。14歳の5月、コースは樽前CC、スコアが126。親父が127 で、1打親父に勝ったというのがうれしかったですね。中2で野球部をやめてブラブラしているのを父親が見て、何かスポーツをやらせようと思ったようです。
ラウンド前に、インドアや河川敷での練習を勧められましたが、そのときはまだゴルフに“反感”みたいなものがあった。止まっている球を打つのにクラブを14本も使うなんて卑怯だと(笑)。そんな思いを打ち消してくれたのが初ラウンドでした。
父のほかに一緒に回ったのが谷三姉妹(福美、里美、明美)を育てた父親の谷喜三彦プロ。僕たちのスコアが8、9なのに対し、スコアカードの印刷通りの数字にビックリしました。パー3ならまだ実現可能だと思いましたが、パー4、パー5でのパーは想像外というか、あの小さなボールを焼酎の瓶くらいの大きさの穴に、4、5打で入れるというのが理解不能でした。
ロングを5で上がるには“技術”より、どうやって5打で回るのか、想像力、イメージを頭に描かなければ到底達し得ないゲームなんだと。このことは今でもそうだとしっかり心に刻んでいます。初ラウンド以後、谷プロにレッスン受けながらゴルフにのめり込んでいきました。
「初ラン後の1年がレッスンの骨子になった」(佐久間馨・68歳)
初ラウンドは大学1年の10月。銀行員をしていた父のコンペに1人空きが出たので急遽出場。そんなに難しくないと思っていたので軽い気持ちでした。
1番ホールでは、ドライバーでは当たらないだろうと考え、7番アイアンで打ったらトップチョロしてゴロゴロと転がり、2打目も同じ7番でトップ、3打目でようやくグリーンのそばに行き4オン3パットのトリプル。3番ホールでボギー、4番ホールで長いパットが入って初パーを取るなどして結局、その日のラウンドは59・62の「121」。
そして、初ラウンドの翌日からはスコアカードをにらみながら全ホールを振り返る作業に熱中しました。その後、安いピンポン玉にセロハンテープを巻いて、アイアンで打っても割れないようにした自作のボールを庭に持ち出して、7番でボールのどこに当てると球がちゃんと上がるか、クラブをどう振れば球にどんな回転がかかるか、インパクトエリアでフェースとボールがどのように接触して、どのように飛び出しているかをじっくり検証しました。
「仮説」を立て「検証」して「結果」を導く科学的解析をやってみたんです。それにより、スウィングには「振り方」と「当て方」があり、その両方がちゃんとできなければ意図したボールは打てないと気づきました。また、芯を食わないボールを多くの人はミスショットと言うけれど、ミスショットも意図して打てればナイスショットだと思えるようになり、大事なのは「どんなボールを打つかを意図して臨むこと」だとわかったんです。
そして1年間、飽きもせず仮説と検証を繰り返し、1回目のラウンドからほぼ1年後に2回目のラウンドに臨んだら「73」が出ました。初ラウンド後の1年間の経験は、その後50年経った今でも私のレッスンの骨子となっています。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年6月20日号「僕たちの初ラウンド」より
※2023年6月13日19時38分本文の一部を修正しました