楽しい思い出? 苦い思い出? トップアマやシングルさんなど、アマチュアゴルファーの初ラウンドの声を集めてみた。
画像: 初ラウンドでは、1球でも気持ちよく打てたら最高!? (写真はイメージ)

初ラウンドでは、1球でも気持ちよく打てたら最高!? (写真はイメージ)

「ずっと『前進4打』から打ちました」(佐野恒雄さん/64歳・HC9) 

初ラウンドは30年前。仕事仲間の先輩に誘われて、練習もせずいきなりコースに出て、スコアは140くらいだったんじゃなかったかな。スコアの詳しい数字は覚えていないけど、とにかくドライバーがよく曲がった。

埼玉のOBの多いコースだったけど、毎ホール、ドスライスのOBを打って、毎回、前進4打目から打たされました。当時はキャディ付きのラウンドで、キャディさんにティーショットはアイアンで打ちなさいと言われたけど、意地になってドライバーを使い続けました。その後も練習ではドライバーを徹底的にやりました。ドライバーで100ヤードを打ち、それが7割程度当たるようになったら150ヤードを打つ。それも7割程度当たるようになったら200ヤードを打つ。

普通は短いクラブでウォーミングアップをするけど、私はそれをドライバーでやっていました。すると、100ヤードを打つ練習ではミート中心の振り方をせねばならずミート率が上がった。結果、200ヤードを打ってもあまり曲がらなくなりました。

「父の会社の人に褒めてもらった」(大橋武広さん/52歳・HC1.8) 

初ラウンドは小5か6のとき。父親の会社のコンペに参加したのが最初です。当時「あした天気になあれ」というゴルフ漫画がすごく流行っていて、私も父も読んでいたんです。主人公の向太陽に憧れて、父に「ゴルフをしてみたい」と頼んだ記憶があります。

コンペ前はもちろん父と練習場へ。コンペは父と同組で父が私のお世話係なんですが、ほかの参加者も気にかけてくれて「頑張ってるね」「うまい」などと口々に褒めてくれるので、うれしくて。中学からはサッカー部に入ったのでゴルフからはしばらく離れるのですが、とにかく「ゴルフは楽しい」という記憶が残りました。当時、そう思わせてくれた大人たち……父も含めてですが、感謝しています。

「父に助言を求めたら『自分でやりなさい』と……」(アンドリュー・トムソン/国際弁護士。父親は全英覇者のピーター・トムソン)

父がシーズンオフになると、ロイヤルメルボルンGCのメンバーで、父の仲間の子どもたちが集まって、小さなコンペを催すのが恒例でした。僕は8歳でそのコンペに出たのがデビューでした。ダンロップのクラブを短く切ったスプーン、5I、PW、パターの4本を手引きカートに入れて。

ギャラリーは親たち。大人たちが回り終えた午後4時からスタートし、9ホールの戦いでした。スコアは覚えていませんが、その後のラウンドでも僕はまあ上位にいる程度で、秀でたものはなかった。父にアドバイスを求めると「他の子どもたちに不公平になる。自分でやりなさい」と言われたのを思い出します。

父とは13~14歳の受験勉強期間を除き、18歳頃まで一緒に回っていました。15歳のときだったと思いますが「きみはプロゴルファーになる才能はない。だから学校を怠けていないで、他の道を探したほうがいい」と諭されました。しかしゴルフの愉しみだけは、これまでの人生で一度も手放したことはありません。やはりあの初ラウンドから12歳までの体験が楽しかったからだろうと思います。

「父と一緒に過ごした大切な思い出」(川上貴光/スポーツライター。父親は川上哲治)

画像: V9の巨人軍監督・川上哲治氏の息子・貴光さんが親子で回った砧ゴルフ場。現在は世田谷区の砧公園(1964年撮影)

V9の巨人軍監督・川上哲治氏の息子・貴光さんが親子で回った砧ゴルフ場。現在は世田谷区の砧公園(1964年撮影)

あれは確か僕が小6の時だったと思います。父の現役の晩年で、オフシーズンにはトレーニングも兼ねてゴルフを始めましてね。自宅近くにあった砧ゴルフ場に自転車で予約を取りにいくのは僕の役目でした。竹を縦に半分に割って素麺流しのようになったところに、お手玉のような袋を並べていくのですが、それがスタートの順番だったのです。

中1になると、父も1人じゃつまらないから僕を誘ったのだと思います。誰から貰ったか記憶にありませんが、お古のハーフセットで父にくっついて回っていました。当時は大らかで子どもが親と回るのに制約はなかったですね。確か一番最初に父と一緒だったのが投手の中上英雄でした。ゴルフ上手で知られていましたから、父も参考にしたのでは。

後に、これまたゴルフが上手な投手の金田正一とも回りましたね。僕が最初のラウンドで100を切ったことは覚えていますよ。3番アイアンが得意でね……。砧ゴルフ場は高校受験で1年間止めた以外はよく連れていってもらいました。高校に進み、野球部は1年でやめ2年からゴルフ部へ。そのとき、同級生で後にキャプテンになったのが戸張捷でした。小6から始めたゴルフは忙しかった父と過ごせた貴重な時間、大切にとっておきたい思い出のひとつですね。

「初ラウンドといえば、ラウンド後の練習のほうを思い出す」(大無田正康さん/52歳・HC6)

初ラウンドといえば、ラウンド後の練習のほうを思い出しますね。仕事に役立てようと父に教えを請うたのが30歳のとき。で、父についてコースに出るようになりましたが、帰り道に必ず練習場に寄るんです。

そこで父が教えてくれたのがミスショットを練習場で再現する、という練習法。たとえばラウンド中にドライバーでスライスが出たら、帰りの練習場でもコースと同じスライスを打つんです。父いわく「自分のスライスの原因を知るには、コースと同じミスを再現してみるのがいい」とのこと。そして、再現できたら、今度はそれと逆のことをしてみる。

それを繰り返すうち、ドライバーショットをコントロールできるようになり、おかげで初心者に多いスライスは初ラウンドから3カ月くらいで克服。練習場に通うのも面白くなり、コースに出るのは月イチでも練習場は週イチで通うように。サラリーマンの月イチゴルファーながら1年半後には90を叩かなくなりました。

「1年間スコアをつけず腕を磨いた」(宮原晴美さん/75歳・HC9) 

40歳で始めたのですが、教えてくれたのは取引先の役員で関東アマの常連だったHC2の上級者。仕事に役立ちそうだと思い、教えを請うたら「1年間スコアを数えないように」と言われました。以来、彼が練習場に行く日は必ずついて行き、基本的な打ち方を教えてもらい、空振りをしなくなってからは毎月1回ラウンドに。スコアはつけず、必ず1.5ラウンド。普通に1ラウンドした後、追加のハーフはスコアメイクのためのラウンドです。

スコアはつけないけれども、その日ミスをしたショットは覚えているから、それを重点的に復習します。たとえば7番アイアンが当たらなかったら、2打目はどんなに距離が残っていても7番アイアンでグリーン周りまで打つ。あるいはアプローチでザックリトップのミスをしたら、パーオンを狙う距離からのショットは全てショートさせてアプローチをする、など。おかげでメキメキ上達し、初めてスコアをつけた1年後のラウンドは43・46 の「89」。100を叩いた経験はないまま、90切りしました。

「プレーファストを徹底した」(柳詰敬二さん/67歳・HC8)

ゴルフを始めたのは30 歳のとき。HC7の叔父がいて「3カ月コースに出ないなら教えてやる」と、ホンマのフルセットのお下がりをくれながら言いました。コースに出ない代わり、週に1回、叔父について練習場に行き、それとは別に、あと2日、自分で練習場に通いました。

この間、叔父が教えてくれたのはグリップの握り方と基本的な振り方だけ。基本的な振り方は、竹ボウキを振って覚えさせられました。竹ボウキは柄が長くて先が重いので全身を使わないと振り切れませんからね。そして、約束の3カ月後、初めて叔父のホームコースに連れて行ってもらったときはうれしかったですね。叔父はマナーにうるさく初ラウンドでも「プレーファスト」が大原則。「クラブ3本持って走れ」は当然で、同伴者がラフや林に入れたら「若いんだから走って捜しに行け」と。

おかげでボールはキャディさんより早く見つけられるようになり、キャディさんに親切にしてもらいました。1年後にパブリック選手権の予選に出ましたが、臆することはなかったし、セルフプレーになった今でも同伴者に感謝され、同時にどんな高級コースに誘われてもビビらずゴルフを楽しめています。

アベレージゴルファーたちの4つのエピソード

●3年ぐらいで初デビュー

仕事の付き合いもあり、何となく打ちっ放しに行くように。3年くらいたってコースデビューしたところ「117」。周りから「すごい」と言われ、そうかなーなんて笑っていたのですが、そこから15年経った今でもスコアに特段変化がありません。(50代男性、愛知県)

●ゴルフのゴの字も知りませんでした

仕事の付き合いで必要だと言われ、御徒町のコトブキゴルフでハーフセット、シューズなど一式購入。半年たっていよいよコースデビュー。140は叩きましたが、同期の仲間ではいいほう。160叩いてしょんぼりしている人もいました。林間コースに響き渡った上司の「走れー」の声が今でも脳裏に焼き付いています。(70代男性、東京都)

●初ラウンドが灼熱の7月で手引きカート

練習場でスウィングだけは形にしていきましたが、ティーショットの後の番手がもうわからない。仲間に聞こうにも手引きカートだから、みんなバラバラのところにいるため、聞けない。打ってはチョロ打ってはチョロで、確か202だった気がします。「よく数えたね」と褒められました。(40代女性、神奈川県)

●とにかくすぐ大きな声で怒る上司と同組に

緊張していたら、やってしまいました、誤球。2打目で打った球が自分のではないと気づいたときは震えました。恐る恐る申し出たら案の定怒鳴られましたが、誤球のペナルティー2打を加えたスコアを伝えたら「おお、ルールはわかっているのか。よしっ」と、ちょっと褒められました。以来、ボールの確認は絶対怠りないようにしています。(40代男性、東京都)

※週刊ゴルフダイジェスト2023年6月20日号「僕たちの初ラウンド」より

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