「ゴルフ科学者」ことブライソン・デシャンボーの「教科書」であり、50年以上も前に米国で発表された書物でありながら、現在でも多くのPGAプレーヤー、指導者に絶大な影響を与え続ける「ザ・ゴルフィングマシーン」。その解釈者でインストラクターの大庭可南太が、渋野日向子が採用したベースボールグリップを考察した。

みなさんこんにちは。ザ・ゴルフィングマシーン研究家で、ゴルフインストラクターの大庭可南太です。さて先週行われました「宮里藍サントリーレディス」では、渋野日向子選手がクラブを野球のバットと同じように握る「ベースボールグリップ」で出場して話題になりました。

画像: 画像A 「宮里藍サントリーレディス」でホステスプロとしてプレーする渋野日向子。フォローの様子から野球のバットと同じように握る「ベースボールグリップ」になっていることがわかる(写真/姉崎正)

画像A 「宮里藍サントリーレディス」でホステスプロとしてプレーする渋野日向子。フォローの様子から野球のバットと同じように握る「ベースボールグリップ」になっていることがわかる(写真/姉崎正)

これについては既に様々なメディアで話題になっていますので「そうか、じゃあ私もやってみよう!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。そんなわけで今回はこの「ベースボールグリップ」について、メリットと注意点についてザ・ゴルフィングマシーン的観点から説明をしていきたいと思います。

そもそもなんで「左手親指を右手で包み込むのか」

そもそも論になりますが、一般論として棒状の道具を渡されて「両手で握れ」と言われれば、おそらく野球のバットのように握るか、アイスホッケーのように左右の手を離して握ることになるはずで、普通は左手の親指を右手で包み込むなんてことはしないはずです。

実はアイスホッケーや、ゴルフでもスプリットハンドなどの練習を見れば実感できるように、左右の手を離して握ったほうが先端の「操作」は簡単になります。しかしゴルフは、このコラムでも何度も紹介している「リリース」という現象の最中にインパクトを迎えることでヘッドスピードを増加させるという珍しいスポーツですので、理論上は左右の手が近い方がヘッドスピードを稼ぐことができます。

このとき左手のグリップ力を高めるために、左手親指がクラブに触れるようにグリップすると、左手親指が右手と干渉するために、右手のひらで左手親指を包み込むようにグリップすることがスタンダードになっているわけです。

右手のパワーを左手に伝える「プレッシャーポイント」

ゴルフでは左手を「主」動力として使用し、右手は「副」動力として「強くなりすぎないように使う」などと言いますが、現実には左手一本でプレーをする選手は見かけませんので、右手のパワーもちゃんと使用しています。

この右手(右腕)のパワーとは、インパクトに向けて右ひじを伸ばしていくことで生まれる「押し込む」パワーになりますが、ザ・ゴルフィングマシーンでは、このパワーを「プレッシャーポイント1番」を通じてクラブに伝えるとしています。

「1番」としたのは、実は「プレッシャーポイント」は全部で4つあってそのうちの「第1番」だからですが、このポイントがまさに左手親指と右手の生命線が重なる部分になります。

画像: 画像B 左手親指の「反り」と、右掌の「生命線」のカーブがフィットするようにグリップすることで「プレッシャーポイント1番」が機能する。(写真は”The Seven Laws of the Golf Swing“Nick Bradley著より抜粋)

画像B 左手親指の「反り」と、右掌の「生命線」のカーブがフィットするようにグリップすることで「プレッシャーポイント1番」が機能する。(写真は”The Seven Laws of the Golf Swing“Nick Bradley著より抜粋)

つまり右手(右腕)のパワーは、右手のひらが左手親指を押して、結果左手親指が間接的にクラブシャフトにそのパワー伝えていることになります。

左手親指痛はゴルファーの「職業病」

しかしこれは言い換えると、クラブシャフトと右手のひらで、「左手親指を挟んでいる」状態とも言えますので、当然左手親指にはスウィング中かなりの負荷がかかります。ちなみに手の指の腱(けん)は手首(腱鞘)を通ってひじまでつながっていますので、指だけではなく、手首、ひじに痛みが出る場合もあります。

またこれはビギナーからプロや上級者まで、スウィングやヘッドスピード等に関係なく発症します。おそらくは手の形や左手親指の長さなどの個人差も影響していると思われます。

いずれにせよ、この痛みが出てしまった場合には(一説には最近はステロイド注射などで緩和できるという話も聞きますが)、前述の右手のパワーを伝える「プレッシャーポイント1番」の機能を確保しつつ、左手親指が痛くならない方法を考えるしかありません。その一つの方法が、左手親指を右手から外して握る「ベースボールグリップ」になります。

渋野日向子の「ベースボールグリップ」

ここで改めて渋野選手の今回のグリップを見てみます。

画像: 画像B 今大会での渋野日向子の「ベースボールグリップ」。左手親指が右手との「間」にある。かなり左右の手を離して握っていることがわかる(写真/姉崎正)

画像B 今大会での渋野日向子の「ベースボールグリップ」。左手親指が右手との「間」にある。かなり左右の手を離して握っていることがわかる(写真/姉崎正)

特徴的なのは、かなり左右の手を離して握っている点です。写真では左手の五本の指がはっきりと見え、その先に右手を握っているように見えます。これは「ベースボールグリップ」あるいは「テンフィンガーグリップ」と呼ばれる手法のなかでもけっこう珍しいグリップになります。

例えば、同じく「ベースボールグリップ」を採用していることで有名な、時松隆光選手のグリップを見てみます。

画像: 画像C 渋野日向子と同じく「ベースボールグリップ」の時松隆光のグリップ。左手親指を外してはいるが、左手人差し指が右手の小指に被さるほど左右の手の距離を近くしている(写真/姉崎正)

画像C 渋野日向子と同じく「ベースボールグリップ」の時松隆光のグリップ。左手親指を外してはいるが、左手人差し指が右手の小指に被さるほど左右の手の距離を近くしている(写真/姉崎正)

写真を見ると、左手の人差し指が右手の小指に被さるほど、左右の手の距離を近くしており、実質的には「リバースオーバーラップ」に近いグリップになっています。またフォローを見ても、左手人差し指はほぼシャフトに接していないように見えます。

このように左右の手を近接させることで、右手のパワーを左手に伝える「プレッシャーポイント1番」の機能を作っているわけです。

次に左手親指を右手の中に入れてはいるものの、やはり右の小指をグリップに乗せて握っている「テンフィンガーグリップ」の勝みなみ選手のグリップを見てみます。

画像: 画像D 勝みなみのグリップは左手親指を右手の中に入れているが、左手人差し指と右手小指のオーバーラップが発生しない「テンフィンガーグリップ」と呼ばれる手法を採用している(写真左/中村修、写真右/岡沢裕行)

画像D 勝みなみのグリップは左手親指を右手の中に入れているが、左手人差し指と右手小指のオーバーラップが発生しない「テンフィンガーグリップ」と呼ばれる手法を採用している(写真左/中村修、写真右/岡沢裕行)

フォローを見るとしっかり左手の指が四本見えますので、左右の手の距離ということで言えば、時松選手と渋野選手の中間になるように思えます。ただし左手親指は右手の中に入れていますので、「プレッシャーポイント1番」はしっかり作られているはずです。もしかすると勝みなみ選手は親指が長いのかもしれません。

メリットと注意点

今回の渋野選手のグリップ変更のメリットは、言うまでもなく左手親指痛を緩和できることです。これまで痛みのせいで充分に練習、調整ができてこなかった部分もあったようですが、当面その問題はクリアできそうです。

ただザ・ゴルフィングマシーン的観点で言えば、もう少し左右の手の密接度を高めることで、「プレッシャーポイント1番」を機能させたほうが右手、右腕のパワーをクラブに伝えやすくなると思われます。

今回やはり渋野選手がただ者ではないと思うのは、これだけのグリップの変更を行っても、なんとかゴルフができている点です。今大会では惜しくも2打足りず予選カットとなりましたが、いくらソフトボールで似たグリップを経験しているとは言っても、普通は直前にグリップを大変更してゴルフになるものではありません。ましてやソフトボールでは左打ちでしたし。

渋野選手の「いろんな方法を試してみる」という姿勢は、成績を出し続けなければならないプロの世界では非常に勇気のいる考え方ですが、例えばタイガー・ウッズも度重なる故障を様々な変更で乗り越えたスターであるわけで、渋野選手の場合にもそうした努力が実を結んで結果につながることを期待したいと思います。

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