富里GCは成田空港「C滑走路建設」のため34年の歴史に幕
1962年に新空港建設が閣議決定され、1964年から着工された成田空港。1978年に開港されたが、当時、成田に4つあったゴルフ場のうち、成田パブリックと三里塚CCが空港予定地にかかっていたため姿を消した。
三里塚CCは用地決定後、その代替として鶴舞CCを造成し、現在でも営業を続けている。
その後、空港は計画通りに拡張されていったが、その南側の土地にマイケル・ポーレットの設計で富里GCが開場したのが1989年のこと。
戦略性に富んだリスク&リワード(危険と報酬)、ワングリーンのアメリカンスタイルながら、リンクスの趣を加味したコースは、徹底したコース管理も相まって伝説的なアマチュアゴルファー、中部銀次郎など、多くのゴルファーから絶大な支持を集めた。
しかし風向きが変わったのが2015年9月。国際線需要の拡大で成田空港の利用者数が当初の予定よりも増えたことを受け、C滑走路の検討が開始されたのだ。
19年に正式に基本計画が53年ぶりに改定。16年に具体的な空港拡張策が提案されたが、その用地に66年に制定された基本計画では用地外だった富里GCが含まれていた。
富里GCの経営会社は国と用地買収の協議を行ったが、預託金返還費用を含む“補償金”で双方に開きがあり、一時交渉が決裂。
その後、内閣総理大臣や関係閣僚宛に嘆願書を提出するなど、粘り強く交渉した結果、預託金全額返還のめどが立ったことから、ゴルフ場売却を決定。昨年8月の会員総会で大半の賛同が得られた結果、今年末で閉鎖することになった。
ゴルフ場建設に当たり、並々ならぬ思い入れのあった同GCの関係者はもとより、愛着のあったメンバーたちは断腸の思いで閉鎖を決定したことは、想像に難くない。
本来であれば長くコースを残していくはずだったが、国民の利益を最優先させての決断だったのだろう。
閉鎖が決定してから、名残を惜しむメンバーからの予約が後を絶たないというが、ビジターのプレーも可能。営業最終日まで、オーガスタ並みの速さと定評のあるグリーンコンディションなどメンテナンスも手を抜かず、最後まで全力で営業していくとのこと。12月末予定の閉場まであと半年……。
立川に近い昭和の森GCは、10月31日閉場予定
1969年に米軍接収施設の飛行場が返還され、そこにパブリックゴルフ場として開設された。
フラットながら樹々に囲まれた林間のような雰囲気。ナイター施設完備なので、仕事帰りにも電車で行ける都心のゴルフ場として人気を集めた。
閉場後は大規模多機能型物流施設が建設される予定だ。
富士南麓に広がる南富士CCは2024年9月閉場予定
富士南麓に広がり、迫力満点の富士と駿河湾の絶景を眺められる。
夏涼しく、冬は暖かく、これからの時季は都心より約5度も低く、避暑ゴルフでも人気。景観保全の観点からメガソーラーになることを懸念した市が動き、土地を取得。跡地は野外活動の場などが整備されるという。
富士山に近いコースがひとつ消えることになる。
ピーター・トムソン設計の徳山CCは開場50周年の節目に幕引き
全英オープンを3連覇を含む5度制したピーター・トムソンの設計で1974年に開場した山口の徳山CC。
深いバンカー群や傾斜のあるグリーン、クリークや池が戦略的に配されるなど、要所に本場スコットランドを彷彿とさせるが、来年いっぱいで閉場し、跡地はメガソーラーになる予定だという。
50年前のコース造成時に立ち会っていたという、息子のアンドリュー・トムソンさんは、
「私は父と一緒に造成現場を訪れたことを今でも鮮明に覚えています。父は設計者として、グリーン周りとバンカーの形が設計通りなのか確認したいと考えていました。当時の毛利社長は華族出身の方で、父は『毛利公爵』と呼んでいました。本当に紳士の方でしたが、閉鎖してしまうということで、とても悲しい気持ちでいっぱいです。コースが閉まる前に、一度プレーできればと思っています」
世界で170コース以上を設計したピーター・トムソンが、自ら最後まで目をかけた徳山CC。名手の思いの詰まったコースは、一度はプレーしておきたい。
奥出雲地方のクラシック島根CCは今年の12月末閉場予定
ヤマタノオロチ伝説の残る神話の里、奥出雲地方の山深いふところに広がり、各ホールが距離を置いて独立的に隣接された雄大な18ホール。
現在はオールセルフプレーで、基本はスループレーのみで営業されている。ゴルフ場跡地にはメガソーラーが整備される予定。
※週刊ゴルフダイジェスト7月25日号「惜しまれつつも間もなく閉鎖するゴルフ場&練習場」より一部抜粋