18番パー5。3打目をピンそばに寄せた瞬間、ホッジスは雄叫びを上げながらキャディとグータッチ。短いウィニングパットを決め、6つだったリードを7つに広げ通算24アンダーの大会新記録で完全優勝を達成すると、パターを放り出し感慨深げに両手を握り締め勝利の余韻に酔いしれた。
キャディと抱き合いながら彼が口にしたのは「来年はマスターズだぜ!」。ツアー65試合目にして掴んだ初優勝はホッジスにとってまさに夢の具現化だった。
3日目を終え後続を5打リードした時点で、ある行動を起こした人物がいる。出身校アラバマ大学ゴルフ部のコーチ、シーウェルさんだ。愛弟子の優勝シーンに立ち会おうと日曜日の朝、急遽アラバマから試合会場のあるミネソタに飛び、最終ラウンドを観戦した。
ホッジスと同世代の息子を持つシーウェルさんには苦い思い出がある。ジュニア時代から地元で有名だったホッジスを当初(14年)アラバマ大のゴルフ部にリクルートしなかったのだ。それを知った妻から「なぜ彼を獲らなかったの? あなたって愚かね」ときつい言葉を投げつけられた。
「ホッジスはまだ幼くて、少し遅咲きのような気がしたから別の選手を獲ったのですが、ジュニア時代から息子と一緒にプレーしてきたホッジスを知っている妻は、愚かな選択と一刀両断。彼は素晴らしい選手になるわよ、といわれました(苦笑い)」
妻は正しかった。ホッジスはアラバマ大学の分校ハーミンハム校1年のときにフレッシュマン・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀1年生)を獲得。「ほら、やっぱりね。あなたは愚かだっていったでしょ?」とまたも妻のきついお言葉。
そして2年後、シーウェルコーチはホッジス獲得に動き16年彼は正式にアラバマ大学のゴルフチームの一員となった。そのときもコーチの妻は夫に「やっとまともな選択をしたわね」。ホッジスを擁した18年の全米大学対抗戦ではオクラホマ州立大学につぐ2位の好成績を挙げているが「ホッジスはゴルフも上手いがそれ以上に人間として素晴らしい」とコーチは自分のことのように胸を張った。
第1ラウンドでホッジスに1打差の2位タイの好発進を切った松山英樹は2日目以降スコアを伸ばせず結果は14打差の30位タイ。フェデックスカップのポイントレースも54位から56位と2ランクダウンした。
いよいよ次週はレギュラーシーズン最後の試合。プレーオフ初戦(トップ70)進出は間違いないが2戦目(トップ50)に進めるかは不透明。最終戦のトップ30入りはさらに厳しさを増している。ガンバレ、ヒデキ!