ピンクパンサーの愛称で親しまれた
2004年にファイナルQTをトップ通過しプロ転向したポーラ・クリーマー。高校卒業を4日後に控えた2005年5月22日に行われたサイベースクラシック最終日。18番ホールで約5メートルのバーディパットを沈め、1打差でLPGAツアー初優勝を挙げた。18歳9カ月17日は当時の最年少優勝記録だった。その2カ月後にはエビアンマスターズ(現・エビアン選手権)を制し、早くも2勝目。史上最年少&最速で生涯獲得賞金額100万ドルを突破した。
19歳になった直後の8月に初来日し、出場したNEC軽井沢72ゴルフトーナメント。
初日に連続バーディ3回を含む8つのバーディでノーボギーという完璧なプレーで首位タイスタート、2日目もノーボギーで2位の宮里藍に2打差をつけ単独首位に。最終日もスコアを伸ばし、宮里に3打差をつけ通算19アンダーの大会レコードで日本ツアー初出場初優勝の快挙を成し遂げた。
9月にはライダーカップの女性版とも言われる2年に1度の女子ゴルフの欧米対抗戦、ソルハイムカップにツアールーキーとして史上初めて選出され、期待通りの活躍で米国選抜の勝利に貢献。「ピンクパンサー」の愛称はアメリカはもとより世界中で不動の人気を誇るようになる。
07年2勝、08年4勝、10年には悲願だった全米女子オープンを制しメジャー初勝利。14年HSBC選手権では通算10勝目を挙げた。この年に結婚するが、18年に離婚。19年には手首を手術し、翌年は1年間の休養をとるなどツアーから離れるが21年に復帰。しかし夏には婚約者との間に子を授かり産休に入り、昨年1月に第一子を出産。9月から再びツアーに帰ってきた。
今季はここまで9試合に出場し予選通過は1回。今週の土曜日(8月5日)に37歳の誕生日を迎える。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年8月15日号「ニッポンゴルフ初物語」より